fengfeeldesignから見た、takeda108について

fengfeeldesignが生まれて、今年でちょうど15年になります。15年前、高校2年生の時に、このfengfeeldesignという思想を持つに至りました。当時の宣言として、今、書くのはどうも恥ずかしながらではありますが…「fengとは、中国語で風を意味する音の言葉です。風は目に見えないものでありますが、肌で感じ、しっかりとその存在を感じる事が出来ます。その風は遠く何処から吹いたものであるとか、暴力的だったり、優しかったり。ふと、柳を見ると揺れるのが見えます。それを感じ、デザインする事をfengfeeldesignとし、ここにこの技法を定めたいと思います。」ぎゃああああ、ようこんなん書いたなあ、と当時のメモのように置いていたノート広げてみると恥ずかしくなりますが、あの時、思った事や考えていた事は、今でも着実に根を張り、1つずつではありますが、実現に向けて歩みを続けています。最初は1人でした。長い間、1人の状態が続いた、という表現が正しいと思います。誰1人、この言葉に耳を貸さず、理解を寄せてくれる人は居ませんでした。fengfeeldesignとは「発端」を目論んだ、その在り方を探るデザイン技法なのですが、とくに、長く時間を費やしたテーマは「お金(資本)」と「コミュニケーション」についてです。試行錯誤を続けて行く中で、ある時、1つの答えに行き着きました。それは同時に生涯をかけて辿り着きたい到着点みたいなものでした。それは、資本を介さないコミュニケーションの確立です。「発端」そのものは、デザインで探る事が出来ます。ただし、一般的に知られている方法は、「資本」を基にした「コミュニケーション」によるものであり、それは同時に、デザインという立ち振る舞いに際し、多大なる制限のようなものを与えるに相違なかったのです。この考え方に至ったのは、僕が「資本」の無い方々とデザインを通して、仕事を含めて共にする事をが多かった事によります。逆を言えば、「資本」のある仕事にありつけるのは本当に稀だったというだけの事なのですが…。今、というよりも、15年前から感じていた事なのですが、もはや発端としての「資本」で「コミュニケーション」を発生させるなどは、少し難しくなっているように思うのです。とくに最近、僕が仕事で積極的にやっている事は、「デザイン」を「資本」とせず、その先に「コミュニケーション」を持たない、独自の思想を持ったデザインの在り方を提案する事です。現時点でデザインは、当事者ではない第三者が発端から参加出来る唯一の思想です。しかも在り方によっては、あたかも当事者のように振る舞い出来事を進める事が出来ます。その機会とチャンスには、まだまだ、大きな可能性と含みを残しています。が、ただ、今なお、それを職能とするのは、もはや難しく、「デザイン」ではお金の発生は難しいのです。ビジネスモデルの1つとしては、長く続いた方だと思いますが、デザインという思想が生まれて100年が経とうとしていますし、そしてこの時間の流れはデザインというものの思想の古さを示唆しています。また、日本にとって、グラフィックデザインとは、8割がたが広報や広告のものであるという認識から、「デザイン」=「コミュニケーション」という説明のされ方をしているのを、しばしば見受けられます。果たしてこれは正しいのでしょうか。たしかに、印刷のグラフィックデザイン、という表現の場合に、グラフィックデザインは印刷を司る翻訳者のようなものである事には間違いはないと考えております。ただ、その枠を超えて、発端と対話する事を「デザイン」とすべきでしょうか。僕は、そこまで、デザインに対して買い被っていないのです。そして、その1つの答えとして、この「takeda108」の制作があったように感じています。純粋技術があるとするならば、その純度を上げるのであれば、純粋デザインの純度も上げなければ、その出来上がりに支障を来します。デザインという思想において、「コミュニケーション」を題材にする事は、拡大解釈に他ならないのだと感じております。では、デザインとは何か、それは皆さんが考えておられる(そう願っております)ように「美術、芸術における資本としての在り方」以外に他ならないのではないでしょうか。印刷におけるグラフィックデザインが積極的にコミュニケーションしなければならないのは印刷という純粋技術なのであって、職能としてのコミュニケーションを該当とすべきか、という点において、いささかなる疑問を感じずにはいられないのです。その中でfengfeeldesignのやっている事というのは、とくに純粋なるグラフィックデザインについて考えていくというものです。決して職能としてではありません。其処を間違わずに見て欲しいと思っています。其処にあるのは、単にグラフィックデザインである事、それが、fengfeeldesignにとっての到達点であり、在り方なのです。では、今回の「takeda108」は、どうであったでしょうか。この発端は200年くらい前に遡ります。活版印刷という歴史の中で、花形装飾活字というものが生まれます。それから200年くらい後に、fengfeeldesignの阪口という若造が、ああ、これスゲーなあって思って、その若造の持つ技術や、当時のテクノロジーに合わせた在り方みたいなのを探ります。最初は、「PRINTERS'FLOWERS from エンスヘデ活字鋳造所」でした。その流れの中で生まれたのが、「kado the 108」です。これは活版印刷のシステムだけをもぎ取った、オフセット印刷にとって美しいデータを探って制作したものでした。そして、プリントパブなんてものがあって、其処には会員が居ます。今は20人くらい。1人1人が制作や印刷加工に対して、なんとも、ほら、変な趣向を持った人が名を列ねてて、その中でも、若い竹田くんにスポットがあたります。そんな竹田くんのグラフィックデザイン、そう、ここで、初めてデザインという言葉が出ます。デザインとは何か。分かりますか?そして、最強の箔押し加工をしてくれる、コスモテックの青木さんに、その「グラフィックデザイン」を委ねます(グラフィックデザインはここまでなんだよね、分かる?)。でで、出来上がった、最強の加工物を、木材と会話する変態な三輪くんがフィニッシュを手掛けました。どこがグラフィックデザインだったか分かりますか?しかも今回は、歴史という発端を利用する事で、技術としてのグラフィックデザインを抽出する事にも成功しています。あ、みんなプリパブのメンバーす。こんな素晴らしい制作の実現において資本の話しする?無料とかにこだわる?んな事ないじゃん。なんかもう、ただ、それが凄かったんだってば、だって、fengfeeldesignはずっと1人だった。今回の出来事は最高だったぜ。青木さん、竹田くん、三輪くん、そして阪口。1人1人が最高の技を惜しみなく出したぜ。こんなのさ、これから先、何度もあると思う??それを是非味わって欲しいです。てか感動以外にいらないんじゃないかな。だからこそ美しい。あ、文体変わっちゃった、ゴホゴホ。「kado the 108」をフリーで、しかも著作権無しでお配りしているのは、それをもっと大勢の皆さんで共有して欲しいからです。そして、僕達がやったように、印刷にまで行動に移して欲しいです。そしたら、この感動はあなたのものだと思いますし、何よりも、印刷の文化が高まる。何故なら「kado the 108」は歴史を賛美したものだからです。決して、誰かが著作権を主張していいものではありません。そして、これが、fengfeeldesignがお贈りする「デザイン」ってやつです。この全て、この一連の在り方が、「デザイン」です。つまり、資本を介さないコミュニケーションの確立。その先で、誰かがお金を得ればいいのです。その為になら、喜んで僕は犠牲の1つにでもなろーじゃないかってね、それが今回のfengfeeldesignから申し上げる事の出来る全容です。そして、この行動は、これからも継続します。だから、その為にも、今までに無い資本の1つでも発生させてやります。だから心配無用なのです。是非、全てを受け取ってやってください。この奇跡を、「takeda108」は手に入れた方が絶対いい、最初で最後だから。唯一無二、最強でした。
2013.02.22 Friday | 2013年2月 | 12:16 | comments(0) | trackbacks(0) |