箔押し五重奏パターン装飾@秋バージョンのポストカード







この度、箔押しにむけての渾身の作、「パターン装飾@秋バージョンのポストカード」を無料で配布いたします。5版の箔で構成しております。紙は「ぐびき」です。fengfeeldesignとしても、グラフィックデザインの集大成という形で制作いたしました。全4連作(春夏秋冬)の内の1作になります。ウィリアムモリスのパターン装飾を模倣し、日本の友禅の雛形をリミックスさせました。西洋式のローカライズをいわゆるまんまの輸入方式ではなく、漢字を平仮名に変えた時のような少しの遊び心を加えつつ、より、日本人に受け入れやすい西洋のパターン装飾を、現在の感覚に合わせて、もう一度受け入れる試みを行いました。

■入手方法
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

 ※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。
    作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51712388.html
2012.03.23 Friday | 2011年11月 | 17:08 | comments(1) | trackbacks(0) |



額入りパターン装飾@秋バージョンのポストカード







craft:miwakazuki

パターン装飾@秋バージョンのポストカードの額の制作を完全受注生産で受け付けます。金額は、10,000円(税込み)+梱包•送料代金800円になります。

■入手方法
give_me_work@fengfeeldesign.org>まで、件名を「額入りパターン装飾@秋バージョンのポストカード希望」にしていただき、本文には「住所」と「お名前」を記入しお送りください。通信販売法の表記と金額の振込先を記入したメールを返信いたしますので、指定の金額をお振込ください。振込確認後から15日程度(通常の場合)で商品がお手元に届きます。1つずつ注文に応じて制作いたしますので、キャンセルの受付はいたしませんので、予めご了承ください。

※曲線の形は木の相性を見極めながら、職人さんと相談しながら決めますので商品毎に少しだけ変更いたします。

※完全にはめ込みなので取り出したりは出来ません。

※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。
作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51712388.html
2012.02.01 Wednesday | 2011年11月 | 23:53 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その13

そこで1つの疑問が生じます。花形装飾活字をアウトライン化する事によって、活版印刷から解き放たれ、固有のものとなってしまいます。この時点ではデザインであると言えるのですが、活版印刷の版としての花形装飾活字はデザインではないと言えます。その理由について書いていきたいと思います。近年、デザインは思想であるという理解が広がりつつあります。それは、デザインが過去の産物になっているという事を示唆しているのですが、これこそが今回の書きたい事の核心に触れる項目なのかもしれません。「過去の産物」というイメージを抱く事そのものが、「デザイン」という行為に非常に類似しているのです。花形装飾活字の時点ではデザインされたものではなく、花形装飾活字という認識で花形装飾活字を作るという統合された制作にデザインがあるというものです。花形装飾活字という形作る境界線みたいなものが「拡張」される時は、それはデザインではなく、その境界線を見極める事がデザインであり「過去の産物」を蓄積した結果である言えます。つまり、花形装飾活字がアウトライン化されていようがいまいが、それを使用して配置する行為にデザインは無いという考え方です。その行為はむしろ技術、印刷の領域になるのは今回までに散々書いて参りましたが、では、グラフィックデザインとは、何か。それは、印刷されたものを総評してそう呼んでいるに過ぎない現象、行為の境界を示したものであると考えられます。では、ではですよ、固有としてのグラフィックデザインがそうなら、動詞としてのグラフィックデザインというものがどのような行為を示すのでしょうか。花形装飾活字はグラフィックデザインだったのか、という点についても考えなければなりませんし、もし、それが印刷の領域であるなら、それを合作した美術そのものまでを印刷、という事にしなければならいのです。また、こうも言えます、花形装飾活字はデザインされたもので、印刷は、それを使用したに過ぎない。しかし、不十分です。活字という形態を維持している時点で、印刷という現実を見ている。これです!これが不透明なせいで、多くの方がウマク、デザインというものが認識されないでいると思います。仕事でも客によって摩擦が起こるのはこのせいだと踏んでいるのですが、これをはっきりしないとデザインという技能が定着しないし、ホント、なんでも屋さんって事になってしまう。のは違う話なので置いておいて、不透明なままだと、グラフィックデザインである以上は同時に印刷の事を考えている、という呪縛から解き放たれないままになってしまいます。デザインは夢を見なければならない。どうやら、デザインと印刷の間には1つ(数字的な認識でもない…)、何かあるとも言えるし、無いとも言える、何とも歯がゆいものが存在しているようなのです。これを解き放つ探求として制作したのが、「新・花形装飾活字『水草』」でした。それが何故、新しいのかも含めて書くのは、次回に続く。
2011.11.22 Tuesday | 2011年11月 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その12

まず、考えたのは印刷に関する思考を印刷を介さずに行えるかという事です。個人でやってるしお金がいっぱいある訳じゃない。印刷という結果を残さずに、その思考が実現出来たなら、とにかく凄く前に進むと思いました。とにかくです。当時としてもお金が無かったし、その一旦をどうやって関われば良いのかという点で、プライベートプレス的な発想には至らずに、脳内的な遊びに至った事が、花形装飾活字の制作という経緯にあります。まあ、妄想ですね、こうやって印刷出来たらいいなあっていうwその連続が「花形装飾活字を愛でる」の動力源でもあったのです。そして最初に選んだのが「PRINTERS'FLOWERS from エンスヘデ活字鋳造所」でした。それは前回にも書きましたので割愛しますが、これをアウトライン化し扱う事によって、というより、これをアウトライン化した時点では印刷には至りませんでした。何よりもお金が無かったからです。試したい事は山程ありましたが、別に印刷に対しては、というより、紙に何かが印字されるという現象においては、実験における虚しさのようなものというのは、散々に経験してきたというのもあったりで、現在においても、ボクが主導で印刷に至った事はありません。それは、印刷という行為を、より限定的に据えているからなんですが、まあ今はいっか、これは追々書いていきます。そのアウトライン化するという行為の中で、1つの気付きがありました。これはアラベスクという美術を原本にしたものであるなら、アラベスクという歴史的な価値を引いて、何か別のモチーフで花形装飾活字の実現は不可能なのか、というものでした。それを動植物ではなく、幾何学でもなく、より自由な発想で、花形装飾活字という袖を伸ばせるのではないかと考えたのです。それは先人達が活版への工夫として、花形装飾活字の延長として既に行っておりましたが、現在のテクノロジーと、なによりも、fengfeeldesignに寄り添う花形装飾活字を、一度、作っておきたいと考えたのです。それなら、お金もかかんないし、時間さえかけたら可能だと感じました。何を花形装飾活字するのか、という洗い出しも含めて、その行為に、解明への糸口があるように感じたのです。一度作ってみる。印刷という結果を介さずに作ってみる事で、それそのものの思考が高まり、同時に印刷への意識の増大になるのではと考えました。お金が無くても印刷に関われる何かが出来るぞ!とwそして生まれたのが「PRINTERS'FLOWERS from IMAGEST」でした。当時、フォローしていたアクセサリー販売の為のアートワークでしたが、それは同時に格好の対象でもありました。それまでに多くのデッサンで形が生まれていましたが、その全てがモチーフが必要な何かであって、どこまでも自由なものには至りませんでした。それまでに鏤められたアイデアも数多くあり、その全てを1つに凝縮する行為にも失敗が生じていました。この、花形装飾活字で一番大きな事は、それは印刷という媒介を、とくに、活版という媒介を無視する事にありました。より自由な花形装飾活字とは一体何か。テクノロジーによって、自由に配置出来るという事はどういう事なのか。それを1つずつのパーツ、この場合は「活字」という事になるのでしょうか。を活版の伝承として制作し、それを自由に開放する。拡大、縮小、回転はもちろんの事、重ねたり、くっつけたり、本来、活版でやるととてつもなく時間のかかる事を瞬時に出来るという利点を最大限に生かした花形装飾活字の誕生でした。「形を自由に作る」という事、そして、フォローすべき対象の世界が構築出来るという事も含めた、花形装飾活字本来の役割についてだけを追求した結果でもあります。
2011.11.21 Monday | 2011年11月 | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その11

印刷というアイデンティティを1つのものにまとめあげるなんて難しい話だと思います。版という考え方だって、今とは詰めとかとは違う次元に逝ってる訳だし、いつまでも、旧時代の活字の文字の読みやすさ追求では相当ヤバいと思います。その美しさなんて、なんかもう、エレキギターの配線を凍らして、音がいいんだぜって言っちゃうくらい危うい。テクノロジーが進んで、いろんな事が出来てきてるのに、まーだ、あんたそんな事言ってんの?ってくらい。古い技術や世界を意識する事は凄く大切ですが、それは、デザインという形骸から相当離れてしまうと思うのです。受け継ぐ事や、それを託す行為は大切ですが、その場合、印刷という技術が置き去りにされている事も同時に気付かなくてはいけないと思います。例えそれが正しき道筋であったとしても、同じ夢を見ていたのでは、印刷は足踏みをしてしまうし、それを語るにも、どうやら限界が生じてしまうような気がします。だって、ずっと同じ事言われてたら、それなりに飽きてしまうってなもんですよ。でも、後から入ってきた人達は、それが出来ていない。出来ていないからと言って、やんなかったり、汲まなかったりすると、とんでもない方向に逝くし、なんとも浅はかな夢を見てしまう感じになってしまいます。過去の人達が、どんな夢を見ていたのを知る事は決して悪い事じゃないし、鵜呑みにしなければ、それなりに使えるストックにもなる。案外、新しい発見もあったりして、それを次ぐ夢を見る事だって出来るのだと思います。一番恐いのは、過去や歴史に捕われすぎてしまって、夢を見れなくなってしまう事です。夢を見ないと、印刷の可能性は潰えてしまいます。それは印刷にとっても言えます。技術でもそうだし、アイデンティティの時点でそうだからです。最初にアウトライン化した、花形装飾活字「PRINTERS'FLOWERS from エンスヘデ活字鋳造所」では、その素晴らしさには、目を見張るものがありましたが、それそのものが素晴らしいとなってしまいがちで、じゃあ、実際にこれが使われるシーンがあるかどうかと言われれば、極々まれであるように思います。あったとしても、それを扱うには、それなりの訓練が必要だったりで、それが「グラフィックデザイナー」と呼ばれている人であっても、力量として不十分な場合が多かったのが印象的であると同時に、花形装飾活字という装飾性のみがクローズアップされて、それが本来持っている能力が無視されている事例も多々ありました。ただ、それは、その使い方の正しさを追求しなかっただけで、現代のデザインや印刷が、テクノロジーによって、より自由になったが為に、そのルールや制約よりも、イメージが先行した結果であったと言えます。とくにこの「PRINTERS'FLOWERS from エンスヘデ活字鋳造所」は教材としては充分過ぎる程に、たくさんの事を教えてくれたし、花形装飾活字への理解と、グラフィックデザインへの探求を深めてくれたのは事実として一度受け止めた上で、例えば、改めて、これを使った場合に、果たして、現在のテクノロジーとの隔たりをどう埋めて、素晴らしく使うのかを考える事が、私たち世代が見るべき、新しい夢なのかもしれません。そうじゃなければ、過去の夢をただただ、絶賛しているだけに過ぎないのだと思います。今、この花形装飾活字を使うのか、新たに作るのか。ボクは、これを使う道を探りながら、新しく作る道を模索する夢を見る事にしたのです。
2011.11.13 Sunday | 2011年11月 | 23:29 | comments(0) | trackbacks(0) |



photo on IESHIMA



























































































































2011.11.08 Tuesday | 2011年11月 | 16:43 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その10

うーむ、いかんいかん。持論に逃げてしまわない為の今回の文章だったのに、研究と探求のその結果だけをお伝えせねば。花形装飾活字で、何をせっせと、あえて花形装飾活字という名目で制作していたのか。もちろん、花形装飾活字に興味があったし、それが自分で作れるようになったら、どんなに素晴らしい事だろうと、その研磨と探求にこそあったのですが、要は其処にはありませんでした。確認をしたかったのです。それが単に美術として美しいのか、印刷として美しいのか。その分析と、装飾としての底辺を知る事が最大の目的でした。装飾としての底辺。単に美術として美しい装飾ならば、印刷である必要が無いし、ましてやグラフィックデザインの出る幕ではないのです。それが、印刷として刷られている事自体に異様な雰囲気と定義を醸し出しているように思いました。自分たちの抱いている装飾へのイメージが、もし、仮に、花形装飾活字を連想するものであったのなら、それは、大きな間違いであり、現代に生きる人達の認識不足が織り成す、なんとも低い価値観の世界が構築されてしまいます。それだけは、なんとしても確認しなければなりませんでした。花形装飾活字が印刷という名の元でデザインされ構築されたものとして、世界には、その数倍優れた装飾に溢れているのです。花形装飾活字の美しさなどは、活版印刷という限定的な美しさに変わりはありません。なのに、何故、あんなに私達を魅了するのでしょうか。其処を知りたかったのです。それが印刷であるからこそ、美しいのか、逆に今の自由な印刷にとって、足枷でしかないのではないかという疑念も含めつつ。もう、だって、今は描けば良いのですから、活版的に並べる必要も無いですし、単色である必要が無くなりました。もっと色とりどりに描けばいいのです。何故、印刷だったのか、話を戻すと、印刷に対する美意識の追求、そもそも、それが答えである事の証明でしか無いのですから。1つ、大きく学んだ事があります。それは意識の持ちどころが違うという事です。それが技術として、活版印刷という限界の中で作られたという事実です。ですが、今はどうでしょうか。ボクももちろんその中の1人になってしまうのかもしれませんが、この花形装飾活字でさえ「作れない」グラフィックデザイナーがたくさん居ます。それを組む事さえ出来ないでいるレベルのデザイナーでさえも存在しているのです。これは、もう、技術や思考、思想、意識の違いなのだと思います。なのであれば、ボク達は何をやっているのでしょうか。本当に印刷というものを完遂出来ているのでしょうか。それがデザインと呼ばれるものなのでしょうか。やはりこの部分に疑問が生じるという訳なのです。書体を使っています。ギャラモンいいなあって言ってます。紙を使ってます。紙はいいなあって言っています。もし、この視点で書くとするならば、それがあたかも、「デザイン」や「印刷」にとって、レベルの高い事になっているという状況に何かこう、受け入れられない何かを感じるのです。インクを使った紙加工や、その廻りに付随する技術は向上しインフラは整っているのに、当のデザイナーがこれでは、果たして「デザイン」をしているのかどうかさえも怪しいような気がします。ただ、彼らは「使用」しているに過ぎないのです。ある、デザインされた印刷を使い古しているに過ぎないとさえ考えてしまいます。いつまでポスターを作るつもりなのでしょうか、いつまでチラシを作って、名刺って言い続けるつもりなのでしょう。それが、果たして「グラフィックデザイン」なのでしょうか。いえ、そんな彼らを否定しているのではありません。それを「グラフィックデザイン」と呼んでいて、自分たちの事を「グラフィックデザイナー」と名乗っている事に疑いを持っているのです。もちろん、その否定は行動に対しても活動に対してもでもありません。それが、定義として、そうなってしまっている事と、そうなってしまったがゆえに、抜け落ちてしまった、グラフィックデザインの存在意義に否定的なだけなのです。決してやってる事が間違っているなどは書くつもりはありません。それをするなら、別の呼び名が必要なのでは?と思います。花形装飾活字の登場と成熟は活版印刷に大きな影響を与えたはずです。文字では否定的であると書きましたが、可能性を感じているのです。この現在の印刷の行き詰まり感と閉鎖された感覚は、デザインが夢を見ていないからであって、デザインが夢を見て、印刷という現実に影響を与える事が出来たなら、より、世界が広がるような気がします。花形装飾活字の制作は、この視点を明確にするには充分すぎるくらいに色々学べた時間でした。1つずつ細かく順を追って書きます。続く。
2011.11.06 Sunday | 2011年11月 | 09:57 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その9

紙にインクを使って加工する事が印刷であるとした場合、もしくは、版というものがあって、それになんらかの方法でインクを付着させて、紙に圧着する事によって、完遂するものが、印刷であると仮定したとして、デザインが、版や、それを前提とする視覚的な概念を用いた原本の思索なのだとすれば、花形装飾活字や、それに付随する方法論は、どのように説明すればよいのでしょうか。仮定として、花形装飾活字がデザインなのだとすれば、現代において、例えば、オフセットのような、自由を謳歌出来る印刷方法については、どのような位置に属するのかをキチンと考えなければならないと思います。デザインから「版」という概念が排除され、限りなく自由な配置で、それを表現出来る現在、話は戻りますが、それが果たして、「印刷」として美しいものなのか、というのも含めて、グラフィックデザインに存在について、少し、疑念、のようなものが沸々と姿を表すのです。全てを内包する事が出来ています。その全ての表現の中で、様々な文化や思想を想定した印刷が、可能になっているという状態にある事は、本当に凄い事でもあり、同時に、ここにこそ秩序が必要になるのだと思います。何度も同じ事を書いて申し訳ありませんが、これが正しい印刷、あれが正しいデータ入稿、それが素晴らしいのだ、というのは、何を表現していくのかというものに依存するべきものであり、それが前提の制作などは決してあってはいけないものであると考えています。花形装飾活字というものが、オフセットで「再現」された場合、単にそれが装飾であれば、無理をして花形装飾活字を使う必要など、まったくない訳で、写真で言うところの、何故、白黒写真なのか?銀塩を用いるのかという話に少し近い感じです。ここで重要な事は、「印刷」と「デザイン」について書いているという事であり、それが「印刷」を取り巻く「デザイン」である場合に、今、行われている、それら共通言語に繋がる事象において、どうやらベクトルが違っていて、飛躍的に変化してしまったがゆえに、何か、空白のようなものが出来上がっているような気がするのです。昨今、急いでそれらを埋める動きや活動が目立ってはきていますが、何かこう、違うなあという感じは否めません。今回、これを書こうと思ったきっかけも、そこにあります。何故こんなに、デザインと印刷の距離が開いてしまったのか、何故こんなに、秩序が失われた状態が続いているのか。その中で、あまりにも、印刷がないがしろにされすぎている、「色が違うじゃないか!」という類いの謎の罵倒も含めて、果たしてそれが印刷にとって事故なのか、デザインにおいて失敗だったのか、同時に、秩序がないのに事故なんて定義が出来るのか、こんなにも距離が開いているのに失敗しない状況がありえるのか、失敗しないように作ったデータは、それは印刷として自由を謳歌したものと言えるのか、もっともっと書くと、デザイナーは何をデザインしているの?わからん、わからんぞ!という事で、各種、花形装飾活字の制作があったのです。中でも「水草」は頂点だったのです。技術を無視し夢だけを見つつも、その印刷に圧倒的な結果と美意識を残せるものでした。秩序をデザインした最高傑作だったのです。次回からは、この花形装飾活字の制作から、印刷についてを書きたいと思います。続く。
2011.11.04 Friday | 2011年11月 | 12:50 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その8

印刷の美しさとは何か、と問われれば、それは花形装飾活字にこそあると答えると思います。活版印刷を高めた一定の方向であるとも言えます。つまり、グラフィックデザインは、この一定の方向そのものなのではないでしょうか。1つの技術を元にした視覚的な創意工夫がグラフィックデザインであると思います。では何故、夢を見るデザインとしたのかという事に関して言えば、印刷は確定された1つの技法の枠を出ないものだからです。そこに、思想や哲学、文化、美意識…etcが混ざる事で、グラフィックデザインの思考が定められているのです。技術は表現を限定するものではないと思います。インクが紙を支配する事の変化は、その考え方で大きく違います。だからこそ、印刷にはデザインが必要なのです。何故なら技術は無垢だからです。デザインが秩序を作らなければ、印刷が成立するはずがありません。今でこそ、デザインという名がついていますが、これは思想そのものだと考えています。だとすれば、印刷を支えるのはデザインという思想である必要性についても疑問が生じます。ここで、重要な事は、デザインという思想が印刷にとって都合の良いものであるという事実だと思います。印刷は技術であるという事、そして技術は無垢であるという事。デザインは意図の無い思想です。デザインされたものを印刷するのか、印刷をデザインするのか。花形装飾活字の場合はどうでしょうか。これは活版印刷です。予め計画されたものが、あらゆる用途で使用されている事を考えれば、何がデザインかという事の大きなヒントになるのだと思います。同時に花形装飾活字とは、活版印刷の美しさを追求した1つでしかありません。活版印刷が花形装飾活字にしかその美しさを依存する事自体が不可解であり、美しさ、という点で言えば、他に方法があったはずなのです。もしくは、他の「デザイン」があったはずなのです。そして話は戻ります。デザインされたものを印刷するというものは、どういう状態を言うのでしょうか。印刷というものは、そもそもデザインされた状態を言うのですから、この定義だと、少なくともこの印刷にはデザインが存在していない。もし、これが印刷とデザインなら、あまりにも互いが離れすぎているように思います。これではバラバラなんです。到底、花形装飾活字が実現出来るとは考えにくいのです。花形装飾活字がグラフィックデザインであると、「花形装飾活字を愛でる」では散々書いてきましたが、花形装飾活字が印刷という領域ではそれが成立しないという事も同時に言えます。現状、もしくは、現代において、オフセットという点や、データでの入稿しているという工程において、版が消失している事実は、デザインと印刷の定義と秩序を大きく変えていると言えると思います。本来はそうあるべきものが、そうある状態が難しくなっているのです。版を想像する事が難しくなっているとも言えます。ですが、どこかで、その秩序が保たれないと、印刷という事象が崩壊していまい、印刷によく似た、よくわからない、インクを利用した紙加工という事になってしまうのです。印刷にはデザインが必要です。ですが、真っ新なくらいに、デザインという現象が削ぎ落されている現在の印刷という行動に大きな疑問と不安は感じた方が良いと思います。一つの絵を刷るという事と、デザインを刷るという事は違うのです。それが今、大きく混乱しているし、それが同じ、画一として工程に組み込む事が出来ている時点で、それはもう、デザインではないし、印刷でもない、
違う何かであると思います。印刷であり続けるというのは一体なんなのか、それを考えさせてくれる凄く大きなきっかけになった花形装飾活字でした。続く。
2011.11.03 Thursday | 2011年11月 | 12:36 | comments(0) | trackbacks(0) |



寅屋ポストカードfromコスモテックさんの箔押し











寅屋のポストカードを作りました。ずっと使えるもの、ずっとお伝え出来るもの、ずっと自信をもって行えるもの、という考えのもと制作をいたしました。今回、コスモテックさんで箔押しをして貰うという事で、いくつかの実験をしました。なんといっても箔押し初心者なので、知らん事がいっぱいなので、実験を交えつつ4種類です。使用したのは黄色の顔料箔、白の顔料箔、黒の顔料箔、そして、黒のメタリック箔です。単純にインクとの加工の差みたいなのを計りたく、それをデザインしたのですが、こんなにも違いが出るとは思いませんでした。インクと同じ視点で制作した場合は、実際の出来上がりは、まったく違うものになるのだなと、気付かされた4種です。思ったよりも、箔押しというのは、紙面を構成する装飾には至らないという事です。それならインクが良いと判断する事が出来ました。むしろ、紙と同等の扱いが正しいような気がしました。それくらい、箔とインクとでは素材も含めてデザインの思考部分に相違があるなと感じました。このポストカードは、西田辺に来ていただいたり、ボクと所縁のある人や、これから所縁がありそうな人にお渡ししています。なによりも、この素晴らしい箔押しをしていただいた、コスモテックさんに賛辞を。
2011.11.02 Wednesday | 2011年11月 | 13:24 | comments(0) | trackbacks(0) |