パターン装飾@夏バージョンのポストカード





この度、単色によるオフセット印刷にむけての渾身の作、「パターン装飾@夏バージョンのポストカード」を無料で配布いたします。色は全て特色で1色ずつ刷っております。紙は4種類、ロベール、デカンコットン、ケナフ100GA、ファーストヴィンテージです。fengfeeldesignとしても、グラフィックデザインの集大成という形で制作いたしました。全4連作(春夏秋冬)の内の1作になります。ウィリアムモリスのパターン装飾を模倣し、日本の友禅の雛形をリミックスさせました。西洋式のローカライズをいわゆるまんまの輸入方式ではなく、漢字を平仮名に変えた時のような少しの遊び心を加えつつ、より、日本人に受け入れやすい西洋のパターン装飾を、現在の感覚に合わせて、もう一度受け入れる試みを行いました。

■入手方法その2
西田辺に直接取りにくる&雑談してくれる人にお渡ししたいと思います。
ご希望の方はお気軽に<give_me_work@fengfeeldesign.org>までご連絡ください。

ご相談等ありましたら <give_me_work@fengfeeldesign.org>まで。


2012.03.23 Friday | 2011年10月 | 17:00 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その7

グラフィックデザインに関して言えば、その情報伝達機能としての能力も含めて、タイポグラフィとの棲み分けというか、互いの境界線を具体的に明記しなければ物事が始まらないような気がします。なんかこう、互いにくっつきすぎてて、少し曖昧になってる所があるんだよね。この部分がグラフィックデザインで、この部分がタイポグラフィなんじゃないの?的な共通認識が無いと、これから後の事を書くのは難しいような気がしました。何が正しきかは、この際は置いといてもらって、この印刷という行為を書く上で、どのような見方をするとサラリと浸透するのかというのをお伝えしておきたいと思います。タイポグラフィは印刷側です。グラフィックデザインはデザイン側なのでしょう。はい、こんな感じです。タイポグラフィで夢は見れませんからねえ、より限定的だし、デザインを現実化していく為の一環であるという理解で良いかいと思います。だってタイポグラフィですよ!文字が奇麗だとか、並ぶ事に美意識ですよ!めんどくさいったらありゃしない、んなの、知識の蓄えで十分なんじゃと思ってしまいますよ。そういう分類ですよきっと。これを絶賛させて発展させるなんてサブカル以外のなんでもないんだよね。そんな知恵の遊びで夢は見れないのです。その台頭がこれから書く「花形装飾活字」に繋がっていくのだから驚きですよね。夢と現実の狭間にこの花形装飾活字は存在しています。むしろ夢を見ています。これはボクはグラフィックデザインだと考えています。少なくともタイポグラフィの領域ではないと言い切ってしまっておきます。なのに現実的な工程はシステムとして組み込まれているという事が前提にあるのです。そこが凄い箇所です。全てにおいて利に叶っているし、夢も同時に見る事が出来てしまう、んな事が実際に可能なのか、普通に考えたら無理なんだよなあ。いやいや、可能だったんですねー。見事に自身をタイポグラフィという枠に閉じ込めて擬態しているかごとくの、このシステムには驚かされます。そして、同時にこれはグラフィックデザインの領域を拡張する事を叶えているし、印刷の解釈をより自由にしているのです!もちろんデメリットはあったと思います。それは、秩序を曖昧にしてしまった事です。ここから、無秩序の歴史が始まっているのです。グラフィックデザインは拡大解釈を始めて、印刷はその対応に迫られる事になるのです。問題なのは、その思考のまま、活版印刷以外の技術が出てしまった事にあるような気がします。そしてとけ込み合ったタイポグラフィとグラフィックデザインに至る訳ですが、
ボクは、どちらかというと、画一派ではありません。あれはあれ、これはこれ、みたいな感じで、タイポグラフィとグラフィック、とその技術とかも含めて、全部バラバラにしています。何故なら、絵を描いている訳ではないからです。1つのイメージで成立するには、あまりにも日本的すぎて、それがグラフィックデザインと言い切るには、なかなか拒否りたいところなのです。単に絵を描くなら、単に装飾をするならです。ボクの技術と知恵は、印刷とデザインの為だけのものです。絵を描くなら、もっと巧い人は居ますし、装飾とかもっと描ける人がいるでしょう。それではダメなのです。グラフィックデザインではないし、ましてや、印刷として成立しないのです。秩序があればこそ成立するもの対して、自由など不要なのです。だからこそ、キチンとしたタイポグラフィを見た時、背筋が伸びる感じがします。自由な空間にこそ、秩序が必要で、その秩序とリンクする自由を選ばなくてはなりません、それこそがグラフィックデザインなのだと思うのです。印刷に適したものを描く、または、それの為に整備していく、という事を徹底的に追求したのが、花形装飾活字だったのだと考えています。技術が前提、それこそ印刷の美しさに繋がります。続きます。
2011.10.31 Monday | 2011年10月 | 19:15 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その6

フリーでデザインしている時。まあ、チラシなんぞを作ってよってなった時。今回書いている、デザインがどの部分にあたるのかという答えは出ています。それは、その印刷物をチラシと定義した事です。印刷物にチラシという機能を付け加えた事が最大のデザインだったと言えます。その時点で既にデザインされたものの訳ですから、それ以上、デザインのしようが無いのです。本来なら、そこからは、印刷の作業が始まるはずです。でも、グラフィックデザイナーというものが存在しているのです。少し言い方が違いましたかね、グラフィックデザインというものが、既に完結しているはずの状態において、何故かグラフィックデザイナーと呼ばれる人が居る、でしょうか。もし、印刷に対してのデザインが、グラフィックデザインとするならば、彼らは何をデザインしていると言うのでしょうか。少なくともグラフィックをデザインしているというになってしまった場合に定義や秩序がかみ合っていないように思われます。もしくは、全てがグラフィックデザインの領域とでも言うのでしょうか。うーむ、おかしな話です。昨今では、WEBがグラフィックデザインの入口なんて本が出てましたが、これもどうにも変だ。だってそうでしょう?印刷に対してのデザインをしている訳ではないのですから。ここで宣言しておくと、「千代紙な名刺」においての描画や情報部分のデザインは、あれは、グラフィックデザインでした。何故なら、その意図を作り上げるのは、それを注文する人間であって、そこで初めて、物事が動く訳ですから。これはチラシの場合と一緒です。なんら変わるものではありません。チラシというシステムは、注文してきた人達に合わせてデザインをしているのです。ただ、そのデザインがグラフィックデザインかと聞かれたら、そこに疑問が生じるのです。明らかに、リアルタイムな思考で、まるで人の話を聞くが如くデザインをしています。それは、本来の印刷である時間的、差異の普遍性という秩序を乱してしまっています。今、目の前にある状況が刷られる事、その、今、目の前にある状況を作り出す事が、グラフィックデザイン、という事になってしまっている事実に、いささかの不安と憤りを感じるのです。自由に作れるという事は、今までの印刷においての夢でもあったような気がします。それが今叶っているのです。それは、本来、出来ていなかった事であり、それが前提でのグラフィックデザインは、まだまだ未成熟である事実は忘れてはいけないと思います。事実、そうやって、生まれてきたリアルタイムなグラフィックデザインに心が躍った事は一度たりともありません、残念ながら。それくらい、今の印刷物には「グラフィックデザイン」が足りていないのだと思います。これは、どこかで区切りを付けなくては、どこかで区切りを付けて圧倒的なグラフィックデザインを見せなくては、これは未来がないぞ!という危機感から生まれた「千代紙な名刺」でもありました。小回りが効いて、自由に作れるという事は、人々から、時間の長さを奪いました。なんせ結果がすぐ出るのですから。人々の思考する時間が奪われてしまったのです。そのようなモノ作りに魅力が発揮出来るとは思えません。ましてや、そのように時間をかけずに興した印刷という高等なモノ作りが、成立する事自体、不可思議で愚行のように感じます(両方の意味でw)。グラフィックデザイナーは、そろそろマジで考えなければならないと思います。ある一過性のグラフィックデザインに身を委ねてしまっていいのでしょうか。それが、あなた達のやっている事がグラフィックデザインだと、大きな口で、それを開いて喋る事が出来ますか?そのデザインを、版を、原稿を、「印刷」するほどに価値があって、優れたものであると言い切れますか?刷る価値のあるものを定義するのがデザインです。話を戻します。この「千代紙な名刺」の時は既にその答えの傾向は出ていました。絵を描いたり、レイアウトを考えたり、それを印刷に適したものにしていく行動は、どうやら「デザイン」の側ではないようなのです。これは運良く、ボク自身が写真というものに関わって勉強していた事と、次の行動でもある、花形装飾活字への探求が明確な判断を与えてくれます。続く。
2011.10.28 Friday | 2011年10月 | 18:42 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その5

紙を選ぶ時点で、デザインとしての使命を全うしておかなければならない。それ以降、夢を見る事は許されない。それくらいの意志でセッティングする事は間違っていないと思います。ポイントは、どこにデザインとしての使命を依存するかです。もしくは、どこからが印刷なのかを明確にするかにかかっています。というかその両方とも重要なのでしょうが、これはどうやら変更が効くようです。何がデザインで、どこからが印刷なのか。それは「千代紙な名刺」での作業で明るみになりました。このシステムを作る時に色々と試したり、仕込んだりしたものがありまして、それを書きながら上記についても触れていきたいと思います。まず、「千代紙な名刺」で何をしようとしたか、という点です。あ、まず、このサービスを構築する時に既に、紙、印刷、デザイン、サービスの機材、人については整えた後という状態であり、それを確固たるものにする為の行動でもありました。で、何をしようとしたか。それは、印刷の領域を拡張する事です。当時、なんというか、印刷側がデザインの受け皿のようになっている事に大きな疑問がありました。それよりも、印刷という行動において、作成される印刷物の美しさを追求する事がデザインにおいての行動であれば、もし、それが実現出来れば、とんでもなくドキドキしたものが完成するのではないかと考えていたのです。そこにデザイナーが不在なのに、素晴らしい印刷物が出来上がっていく感覚は、印刷方法はオフセットではありましたが、さながら、活版印刷の秩序に近いような気がして、これは、凄いものを作りあげたぞ!と興奮したのを覚えています。何よりも、デザインとは縁も所縁も無い人が印刷物が欲しい概念だけで、「デザイン」されたものが手に入る訳ですから、初めて注文が来た時の喜びと感動は今でも覚えています。なんせ、その秩序、システムが完遂した瞬間だったのですから!印刷にはデザイナーが不要であり、印刷とデザインの境界線を明確に的確に分ける事が可能だという事が証明されたのです。つまり、何がデザインで、どこからが印刷なのかの部分になります。何がデザインか、「千代紙な名刺」の場合は、名刺というものを再構築したところにデザインの全てがあります。言葉でくくると、千代紙で名刺を包むとか、名刺を主張するものから贈り物にするとか、そういうところにあるかと思います。あ、あと、図案の原画を描いたりとか、情報部分のコアデザインを決めたり、でもこれは、もう少し分けれると思ってる所で、後で書きます。ちょっと領域が違う。印刷の何を拡張したか、紙の選択、図案の選択、情報の挿入の全てを印刷という現実主義に委ねたところにあります。それらを選ぶ事で、自動的に夢見るデザインが発動するようにしたとも言います。印刷が現実的になればなるほどに、それがデザインされた印刷物になるよう仕組む事が、この実験での、最大のテーマでした。選択出来る事を最大の利点にする事。それを概念ではなく、的確に印刷に委ねる信号を構築する為のシステムを作りあげた訳です。そしてここで、1つ疑問が生じます。上記でも書きましたが、描画や、それを印刷に適した原稿に作り上げる作業は一体なんなのか、それは印刷か、デザインかです。その間の架け橋は無しとしてです。境界として、どちらにあたるのか。その明確な答えが欲しくなりました。次回へ続く。
2011.10.27 Thursday | 2011年10月 | 13:44 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その4

印刷には、どうやら紙が必要なのです。しかも、紙にはたくさんの種類があり、種類毎に味わいも風合いも違うようなのです。まずは、それを知る旅から始める事にしました。なんせ、用紙にはアート紙・コート紙・マット紙・上質紙・中質紙と分類があるのですから。ええい、わからん。わからんと思いました。なんか色の検定もDTPの検定も、2級だかを取ったけど、使わないから証明書を捨てちゃうようなやからです。いらんいらんそんなものはと、紙の事が分からんなら、紙屋に聞けばいいじゃないかと、そこで問屋というところに行き着きます。ここで「代理店」じゃなかったというのが、後に色々と影響してくるのですが、それはひとまず置いといて。ツルツルしてて、ザラザラしてんだろ!みたいなレベルでいいやという結論に達します。だって、問屋でさえ、その紙の特徴を知らないのです。もしくは、知っている範囲が限定的だったのです。それも後々のヒントになりました。そこで「竹尾」という存在に気付きます、19歳の春だっけか。「平和」ではありませんでした。当時は「竹尾」が圧倒的でした。そもそも、流通なんてどうでも良かったし、当時としては、とにかく、なんか紙がいっぱいあるぞという気付きが嬉しくて、そもそも最初が問屋だったので、製紙屋さん直でしか紙は手に入らないと思ってたのです。まさかそんな「代理店」なんて存在があるなんて!レザックださいなーって、ずっと思ってて、それくらいしか手元に見本帳が手に入らなかったのだけど、これは我れ先と、あの分かりにくい位置にあるw「竹尾」の大阪の所に出向きます。そして「問屋」を通して紙を買う事がメインになっていったりなどなど、紙に対しては、それくらいのものだと思います。というより、それくらいのもので十分かなと思ってます。現在も、そんなに詳細に知識を貯えている訳ではありません。製造場所がどこで、とか、材料が何で、とか、それは、この探求には実は無意味な部分だったのですよね。趣向として、知らない人よりかは知ってる程度かもしれません。だから、踏み込んだ事はしとらんのです。もしくは、秩序を作る事を最優先に考えました。それは、何を1からにするかによりますが、別に紙をパルプから作るとか、インクを練る所から始めようという話じゃないです。どんなに各種分野が研究されて、技術が向上しても使われなければ意味が無いのです。結論として、「紙」は手に入るものを使えばいい。という感じで落ち着きました。それは今も変わっていません。僕は紙好きとかではないです。選べる紙が多い事は大歓迎ですが、紙フェチという訳ではない、そもそも、紙に頓着を持っていません。単に選択すべきものでしかないのです。それは「印刷」にとって、そうあるべきです。何回も書きますが、もちろん、趣向としてはありだと思います。なによりもスタンダードを作り上げる事、代理店の使命が、その提案と種類にあるのだとすれば、別にその情報を共有する事は無いですし、「紙」を使って何かをする必要も無いのだと思います。あれって結局、「竹尾」がスゲー事してた時の名残が今でも続いている感じがするのは気のせいではないと思います。印刷に纏わる紙の必要最低条件として、その生産と供給としての在庫にあるのだとすれば、紙は「手に入るもの」という意識を持つようにしています。手に入る紙は何か。この視点は既に、デザインの領域ではない事を教えてくれています。夢見るデザインと、現実主義の印刷。どちらかで言えば、紙選びは印刷の領域ではないでしょうか。そこへ、夢を見て紙を計画してしまっては、一気に夢が冷めるような気がしています。この紙を使って何か出来ないかなあは、かなり危険に感じます。ただ、自由に紙が選べるように体制が整っているという事実は、本当に凄い事だと思います。だからこそ、それに見合うだけの秩序作りが重要なポイントになってくるのではないでしょうか。現代のデザインと言えば、天秤として、デザインがあんまし夢を見ていない感もありき、しかもなおかつ、現実を見る事を美徳とする気配あるような気がします。整理術なんて話もありましたが、整理に夢を見るのはデザインであっては、この場合は凄くおかしいのです。デザインは別のところにあると思います。同じ事が言えて、デザインが紙に夢を見るなんて、おかしい話です。つまり「印刷には紙が必要」であって、「デザインには紙が不要」という結論に達したのです。そして、この探求の最大の気付きは、デザインは紙とは別のところにあって、紙の選択は印刷の喜びの内の1つなのだという事です。続く。
2011.10.26 Wednesday | 2011年10月 | 09:52 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その3

話は「デザインをしておく」に戻ります。この作業というのは、印刷に向けて前もって準備をしておく事であって、時間の差異を限定するものではありません。現在のグラフィックデザインの基礎になる概念だと思います。この、時間の差異、の部分が如何なるタイミングであろうとも、それが印刷を前もって予見し、それを形作る作業である事は変わりないのです。また、技術の変化についても同じ事が言えるような気がします。今は、まあ、技術を限定しないグラフィックデザインって事になる上に、DTP世代としては、そこらへんシームレスなんで、意識する事自体が難しい感じなので、それはボク自身も実感として味わうという意味では、身近に活版とかローテクな印刷の環境を小さい時から見れたというアドバンテージがあったので、凄く自然に、それはコンピュータでの処理であり、版の復元という結論には達したのだけど、そうじゃない人は、モニターが完成という事には非常になりやすいなと思います。イラレしかり、WEBデザインやってる人なんて、まさにそうだよね。それこそ、完成されたものを、印刷に投げる発想に落ち着く感じだよね。花形装飾活字は、その点で言うと、かなりいい訓練というか、強制ギブスみたいなところがあって、それはその研究と探求は意識の根底に根付かせるには丁度良かったような気がします。今もまだ配布中なので、是非、ゲットしてみてください。それはさておき、印刷を行う際には幾つかの作業工程を経て、その実現を目指す訳ですが、なんと、それを理解していない人がホントに多い!という事は、これぞとばかりに、見せつけられてきました。印刷というのは高等な技術だと思います。哲学思想も含めて、世界の構築から、意識まで、それが高まって研磨されて初めて実現出来るのだと思います。全ての工程において、どれか1つでも欠けていたり、抜けていたり、それこそ、ダサかったりすれば、より良い印刷物なんて出来ようがありません。前回にも書いていますが、デザインと印刷の時点で既に違うのです。しかもその双方に無数の工程が存在するという事実です。それは技術者だけの問題ではありません。それを依頼する側にも、その想いの強さや意識の質が問われていると思います。人が人に頼むという意味の形のようなもの、それは、とくに印刷という高等な動作においては考えなければならない点のように思います。要素だけの問題では無い、という事も最近分かりつつあります。タイミングや人間性、それを取り巻く環境から見ている世界の違いまで、材料が同じでもここまで違うのか、という事を花形装飾活字を通して思い知る事が出来ました。扱う、人間、それを利用しようとする人間。この違いこそが、デザインや印刷に大きな影響を与えるのだと思います。それは技量が同じでも言える事ではないでしょうか。とくにも、かくにも、このような様々な工程を経て印刷物は完成される訳ですが、重要な事は、「デザイン」と「印刷」の2つの枠内で全てが行われているという事です。この場合、同時に、果たして頼む側は枠外なのかという疑問が生じます。これは、頼む側が何であるかを考慮するとどうやら分かりやすいみたいです。今は多分、「デザイン」と「印刷」に縁の無い人でも、ある程度の小銭さえあれば「頼む」事が出来る状況だと思います。人はこれを、インフラが整った状態と言うんでしょうが、本来、印刷物は高価なものであり、それは現在においても変わるものではないと思います。こんなにも身近になったのは、ある一定方向の技術の向上と、安価なシステムの構築がそれを実現するに至りました。言い方を変えると、上記にてずっと書いてきた事のスピードが増したと言えるでしょうし、工程がギリギリまで省かれたとも言えます。本当にこれは素晴らしい事だと思います。これは人々の研磨の賜物だし、ボクもこの恩恵を授かっています。デザインから印刷に至るまでの架け橋を容易に構築出来るシステムを1から作らなくとも「ある程度」の印刷物を得られる状況にある、という事ですから、印刷物が、ある状況の目的に居合わせた必須のアイテムだとすれば、尚更です。ただ、残念なのは、基本となる技術の底辺が底上げされた事で、デザインとは何か、印刷とは何か、という思考の部分で自由が生じてしまっているのです。これでは秩序が崩壊してしまいます。ここで書いている秩序とはデザイン業務云々の話ではないので、あしからず。この秩序の崩壊は、「デザイン」と「印刷」を別々の方向へと歩ませている1つの原因であるとも捉えています。それが10年前の行動になります。つまり、デザインから印刷に至るまでの架け橋を容易に構築出来るシステムを1から自分で作る事にしたのです。「デザイン」をするにも、「印刷」をするにも、まず、機材と材料、人と、場所が必要です。「デザイン」に関しては全ての準備が出来ていましたから、後は「印刷」をどうするかです。何よりもこの行動欲として、この部分が知りたかったのですね、その時までは、ネットで印刷サービスしてるところにデータを投げるだけ、限られた紙から、インクから、選ぶだけでしたから、本当に未知の部分でもあったのです。その武勇伝は今回は関係ないので置いといて、時間的には2年程で全てのシステムを構築し終え、今も使い続けてるのですが、その結果、幾つかの気付きに遭遇します。それは、結構これは大変なことだぞって事です。思っていたよりも、たくさんの人が関わってる事が分かったのです。当時、メインの仕事はWEBデザインでしたので、印刷物は、そのついでにやってあげるぐらいのものでした。知れば知る程に、準備をする量の違いや、思考の位置の違い、そして失敗が出来ない事への緊張感みたいなものが明るみになっていきます。これは、素晴らしい発見でした。多分、自分がデザイナーであるという事を言うのを避けるきっかけになった気付きであったように覚えています。ついでなので、書いておきます。ボクは「デザイン」が出来るのかもしれない、「印刷」についてもたくさん調べてきました。ただ、1つ努めている事は、そのどちらにも属さない事です。この時、このシステムを完成させた時に、染めた味。このインクを使った紙加工、つまり印刷をいかなる方法で成立させるか、に全てをかけています。それは技法の話ではありません。どうやら、シーンでもないようです。何が、印刷物なのか、どうすれば、印刷物なのかです。今の全ての行動は此処にこそあるようです(まだ仮定ですが…)。デザインが出来るからと言って、デザイナーである必要はないと思います。デザインをするからと言って、デザイナーと名乗る必要はないとも思います。あ、でも、ただ、最近の社会を伝達する為にデザインを使用している輩とは一線を引きたいです。あくまで、印刷物という定義に捧げたいと考えています。と、少し話がズレてしまいましたが、これから、この15年間の間の、探求と研究、実験における、インクを使った紙加工、つまり印刷という行動の思考結果をこれから、順を追って書いていきたいと思います。少し、長い前振りでしたが、どうか、お付き合いいただけたら幸いです。ではでは、次回へ続く。
2011.10.26 Wednesday | 2011年10月 | 00:19 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その2

デザインされたものが刷られます。この出来事からは逃れられないと思います。意識がどうあれ、それがそうでなかったとしても、その工程を踏まないと印刷の実現は無い感じです。でも困った。夢見るデザインと現実主義の印刷。この2つが交わる事は非常に難しい。デザインで現実主義になったとたん冷めるのと同じように、印刷が夢を見始めると途端に面白みが無くなる。どうしたもんか。この2つの距離が開いてしまっては、美しい印刷物の実現が難しくなってしまう。立場、というよりも、これは意識の問題。デザイナーが印刷をどう思うか、印刷職人がデザインの事をどう捉えているか。人間関係、相性の良さみたいなもの。時間の流れ。そういうものも含めて、1つのストーリーみたいなものがあって初めて、印刷というものが成立するような気がします。紙、インク、それに纏わる機材、機械、その製造のストーリーは、ひとまずここでは回避させてください。その行動の発端が何か、でもいいし、それが実現出来る可能性、でもいいかもしれません。1つ、大きなヒントがありました。それは活版印刷です。活版印刷で伝票類や書類を印刷する場合、予め決められた形式に乗っ取ってデザインが行われます。もしくは、デザインと同時に活字を組む作業が同時進行で行われているのです。デザインに合わせて印刷をするというよりかは、大分以前にデザインされていたものを、ずっと使っている状態です。しかも結構長く、誰も違和感を感じる事もなく、その作業が淡々と行われ、人々の役に立ち、その印刷物は使命を全うしているのです。誰かが、デザイナーが、印刷職人さんに、ああしろこうしろと言った訳ではなく、ただただ、使用者の要望に合わせて、過去の記憶と経験に照らし合わせて、印刷されていく、その印刷物は、何故か人間味に溢れ、使い古されたであろう罫線の削れさえも、何かこう変な心地よさを感じたものでした。なんともダサい花形装飾活字にしかり、美意識の欠片も其処には無い、「印刷」という概念だけが息づいた不思議な制作が其処にはあったような気がします。しかし、それはデザインの一切を排除した訳ではなく、極力その概念を絞り、印刷という現実主義な世界だけを引き合いに出した結果、不思議な美しさを醸し出していたのです。そう、デザインが其処から消えた訳じゃないのです。この印刷が実現していたのは、無意識の内に現実主義のはずの印刷が夢を見続けていたからだと思います。お客さんの要望に合わせて「工夫」していた事が、それがデザインという行動になっていたのです。そして「デザインをしておいた」その蓄積が長年の月日が経つにつれ、形骸化されデザインという意識を極限まで消してしまったのだと思います。キーワードは「デザインをしておいた」です。とくに活版が成立する、その実現と時間の流れ的なものからすると、最近はそりゃ、すぐに版が出来ますけれど、そもそもの活版は「デザインをしておく」事で、それを印刷に使用するという考え方と、後から版を足して、その作業のバリエーションを増やすという、現在で言うところのバージョンアップを可能にした訳です。つまり、デザインをするタイミングと、それが実際に使われるタイミングが一致していないが、成立している、という所に着眼点を置く事に活版での印刷の肝があるような気がします。それを圧倒的なポテンシャルで引き出したのが「花形装飾活字」の発展にあるのだと思います。花形装飾活字は、「デザインをしておく」という概念を圧倒的に使用した一例でもあり、成功例の1つであると考えられます。それは、装飾の全体を作る事で固定する訳ではない、圧倒的な美しさの自由を、活版印刷にもたらしました。同時に、印刷に対して、デザインが必要になるその流れを確実なものにしたのも、花形装飾活字だと思います。これは印刷職人の美意識だけでは、その発展に限界が生じるという事を示唆しています。そこで印刷を知っている美意識の高い人間、グラフィックデザイナーの登場です。まあ、確実に時代の流れ的に確実に印刷は美意識の元に「自由に印刷」が出来る方向に動き始める訳ですが、リトグラフとかミュシャとかポスター芸術とかそういう話になってくんだろうけど、別に歴史の流れを書きたい訳ではないので、後は、各々、調べるなり悶々と妄想していただくとして、このグラフィックデザインが印刷に与えた影響とその分類について書くのは、次回へ続きます。
2011.10.21 Friday | 2011年10月 | 09:48 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その1

「印刷について」を書くとなると、なんかこう大それた事のようになってしまって、書き出しが難しそうなので、紙を使った物事、紙に纏わる、グラフィックデザインを考える思考みたいなものを書こうと思いました。とくに歴史についてとか、それを考慮してとかは、そこらへんからは、少し逃げて、技術や技術に関する感覚のようなものを今回はピックアップしたい感じです。そしてそれを、紙とインクに絞って、ボクが今まで感じた事や関わった事を交えつつもお伝えしたいと思います。まず、紙があるという事。インクという概念、というか、紙がそれを雌とするなら、インクは雄みたいなもの。まず、それがあって、印刷だと思うのです。版とか、何やらも、もちろん重要な一視点ではありますが、まず、その基点があって、印刷という技術に移っていくのだと考えています。最初に版ありきじゃないところが、実はポイントで、版が完成されていては、そんなに魅力的じゃないのです。版に至る基、原画のようなものが、圧倒的に完成されたものであるという前提が、印刷を美しくすると考えています。その圧倒的に美しい原画を、圧倒的な整理において、奇麗に設えたのが「版」であって、それを紙に「刷る」からこそ、そこに美しさが滲み出るのだと思います。紙が美しくて、色が美しくて、版が美しくて、ではなく、原画が全てを決定付けるような、そんな印刷が実現した時、初めて、その全ての技術や、それに関わった人、見る人を魅了する事が出来るのではないでしょうか。原画が美しいから、紙や、色や、版に意味が出てくる。その技術の底辺の底上げさえも、基となる原画(もしくは起源)が、きっかけにならなければ、技術として方向を失うだけではなく、感動さえも、無くす事になってしまうと思います。なんだかんだで、15年、技術者としてではありませんが、グラフィックデザインという立場から、印刷というものに関わって参りました。知っている人からすれば、短く、そうでない人には、時間なんてどうでも良いものではあるのですが、ちょうど、なんか、中間の位置に立てたな感が凄くあって、いろいろ思う事もたくさんある中で、判断をくだす、くださない、の、ちょうど、ホント、中間に位置しています。少なくとも気付いた事は1つだけあります。活版、オフセット、UV…etc、技法は数有れど、むしろボクの知らない技法なんて山程あるけれど、あくまでそれは技術の話であって、グラフィックデザインをする上で、印刷物で考えなければいけないのは、なんなのかです。ボクは出来るだけ、印刷の現場には立ち入らないようにしています。何故なら、デザインは、思い込みの世界だからです。印刷はそうじゃままならないです。実直で現実と向き合いながら、作業している場所なのです。もちろん逆も言えます、印刷をされている方がデザインの世界に踏み入れるべきじゃない。その失敗が、北川一成のそれだと思います。あれじゃ、単なる版画家です。それが広告をしているに過ぎないのです。デザインは印刷に夢を見、印刷はデザインの夢を叶える魔法使いであって欲しいのです。デザイン→印刷は、黄金比率のような、これを乱してしまうのは、あってはいけない事だし、凄く恐い事のように思います。少し、インクの話とは離れてしまいましたが、次会へ続く。
2011.10.20 Thursday | 2011年10月 | 15:15 | comments(0) | trackbacks(0) |



今後、具体的に何をしていくか、など。

 これから、具体的に何をしていくか、など。を熟々と。1つは活動のリニューアルをします。これは散々触回ってますが、します。基本的にはオーダーメイドによるデザインは縮小します。商業的に利益の得れるものについても、現状以外はお断りする方向で考えています。なんかもう身を焦がして利益を得るデザインに関しては20代で散々経験させられたし、その末路の面白くなさも見せつけられてきた上で、それと巧く付き合いながら、自分の面白さと合致出来る程に起用では無い事は既に織り込み付きで気付いているので、あれはあれ、これはこれ、みたいな視点になってくるのかなと感じています。デザインを止める訳ではありませんが、いわゆるグラフィックデザインと言われている世界にはさようならをし、違う世界でグラフィックデザインを考えていけたらなと思ったのです。単にグラフィックデザインを頼まれるという視点では、なかなか限界がありますし、もう少し能動的にデザインというものを興せないか考えてみたいのです。「こだわりのある人達の為のデザイン」がしたいのです。一緒に伸びやかに駆け上っていけそうな感覚のデザインがしたいのです。なんか堕落に依頼されるようなデザインにはさようならをしたい。デザインというイメージで依頼されるような枠には居たくないという願望でもあるように思います。最近もやはり同じようなパターンがありました。なんともつまらない理由で破綻したりするのは、お互いの理解が足りない事や、その想いが等価でない場合に起こります。そんなデザインはしたくない!と再確認するには良い出来事だったような。つい昨日の事ですけどね。もう一生バーのポストカードとか作らねーぜ。安請け合いしたのがいけなかったのだろうなあ、あんなに人を想わない発言やアイデンティティが蔓延している場所があるなんて…。もう一生、このバーに来れると思うなよ!って言われたけど、行かないしwていうかバー行かないしwまあ、それはさておき、これから1年ぐらいかけてそういう形にフェード出来たらなと考えています。最低限度の利益を得ながらも、出来ればその利益を近い人から得たいという考えは変わっていません。遠いと薄くなる。なんかこう、濃いスープの中でバシャバシャしたいのです。まだまだ理想はこれからだなあと思いつつ。後は、やはり作る事。花形装飾活字の新作をなんとか今年中にまとめたい。書体もね、とくに自分でずっと使えるような英文書体の設計をしたいです。セリフ体、サンセリフ体、の両方です。パターン装飾も続けます。これは近日まとめたものをアップしたいと思います。お楽しみに。活版印刷に向けても具体的に動いていくかと、出来れば今年中、最悪、来年の早い段階でどうにかしたい。なんか依頼じゃなくてもバンバン作る。20代も大概してきたけど、なんかこうプロだしみたいな柵があったと言えばあったので、30代はホントなんかこう、内側向いてそういうのをとてつもないスピードでやりたいです。全力で。全快で。そういう感じで作ったものがデザインに使われた方が、「良い」というのが凄くわかったというのもあって、これはマジでやります。そういう意味で、オーダーメイドなデザインは、よっぽどじゃない限りやらないかもしれないです。でも、想いや気持ちがあるなら、耳を傾けます。ていうか、本当にそれを作らなければならない事になるなら、自然に作るという事になるんじゃないかな。あえて依頼として募集するのはなくなる訳です。オープンに頼まれるのを止めるとも言う。ここらへんがまだ調整中なんだけどね、近日、答え出したいと思ってます。あ、あ、あ、あと、西田辺周辺も面白くなってくるよ。とだけ書いておきます。では。では。
2011.10.08 Saturday | 2011年10月 | 19:50 | comments(0) | trackbacks(0) |