これからの印刷について

もうすぐ30歳になります。グラフィックデザインという存在に気付いて15年。ただひたすらにグラフィックデザインの事だけをやってきました。ここらで1度、グラフィックデザインというものを辞めようと思ってます。実は、この5年くらいは、その為の準備みたいなものをやっていて、とくに花形装飾活字なんかはそうだったんですが、「印刷」というものを考えていく為にも、一旦、グラフィックデザインから離れて、その上でグラフィックデザインじゃない「印刷」を考えていく必要があるなと思ったのです。もちろんグラフィックデザインとは、現在では広義に捉えられているのは理解しています。この行動においては、ある一方のチャンネルという意味合いと理解していただけると助かりますが、つまり、花形装飾活字に関連するもの、と言いましょうか。自分にとっての実験ブース、研究とその解明の発表としていたポジションを指しておる訳です。何故、そのような答えになったのか。それは、グラフィックデザインは「印刷」ではないという事が分かったからです。花形装飾活字ではあったけれど、「印刷」ではなかったんです。花形装飾活字において、細かく分解し解析を行いましたが、そこには実は印刷の要素は含まれていなかったのです。それを計画する一端は担っていたものの、それを包み込むには、ちと無理があるような気がしました。写真=印刷というのは、ボクが度々口にする言葉で、つまり「現象」なんです。写真も印刷も現象で成り立っている。けれどグラフィックデザインは、その偶発性でさえも意図として据え置いてしまっているという現状は、どうにも、一緒に考える事は出来ず、グラフィックデザインの「側」から印刷を見つめるのは限界があるのだろうなとずっと感じていたのです。それは逆の事も言えるかと思いますが、両方を知っているというのは、何か別の答えに辿り着く為の必要最低限なのかなと、もっと書きますと、グラフィックデザインでもない、印刷でもない領域に達する事が出来るのではないかなという、訳の分からない期待感みたいなものを感じずにはいられないのです。今やってる作業は、恐らく、15年間の集大成になると思います。印刷。裾を延ばせば、どこまでも延びる感じがしますが、実のところ要素としては実に単純なところにあるような気がします。残念ながら、ややこしくしてるのは、テクノロジーととも歩んできたグラフィックデザインが原因ではないでしょうか。印刷だけが置いてけぼりにされている。正しいデータとは、実のところ「印刷」にとって正しいのであって、それが刷られる状況に正しいかどうかは別の範囲な気がします。ある程度、コントロールが利く印刷というのも忘れ去られています。圧倒的な大部数については、多大な発展を遂げました。技術以外の知恵に関しても、それを支えるだけのものはあるような気がします。ただ、小部数には優しくない。技術とともに歩んできたグラフィックデザインも同じ事が言えます。小部数なのであれば、印刷じゃなくていい、とは、具体的にはどの程度の数字を指しているのでしょうか。10部の印刷はあるとおかしいでしょうか。ここにこそ、グラフィックデザインの手の施しようがあるとは思いませんか?未来予想図については、とくに描く事はしませんが、例えば、今は、個人が印刷物を発行するには、ちと高価だし、部数的にも、手を伸ばせないところにあるような気がします。これからの印刷として、何故、グラフィックデザインを辞めるのか、という理由について、十分過ぎるくらいの知恵も版も手に入れたので、グラフィックデザインという価値をゼロに出来るくらいに、バラマキたいと考えています。広報や広告の、それに付随するアイテムの為だけに印刷もグラフィックデザインもある訳じゃない。流布する為だけが印刷物の役目じゃないし、グラフィックデザインの可能性でもない。ボクは、これから少し違う領域でグラフィックデザインと印刷について考えていきたいと考えております。「印グラ刷フィックデザイン」どうぞよろしくお願いします。
2011.06.26 Sunday | 2011年6月 | 16:11 | comments(0) | trackbacks(0) |



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2011.06.08 Wednesday | 2011年6月 | 07:55 | comments(0) | trackbacks(0) |