外に出す

そういえば、自分の作ってきたのものを外の世界に出すという行為はスゲー久しぶりな気がする。「自分が」やったという定義のものを出すというのは、それこそ、mioの写真奨励賞以来な気がする。出してもいいと思うものが出来たのは、ホント最近の出来事でもあって、やっぱり出すという行為と、作るという行為のバランスというか、もっと人に見てもらいたい!と思えるものって、そうそう出来るもんじゃないと思うんだよね。みわくんとプロジェクトにしても、外に出して、大勢の人に見せたいと心から思えるものが出来たのは、ほんの最近で、neo vintageがそれだったんだよね。いえいえ過去形にするにはまだまだ早いんですけど、外に出すという行為って、自分が納得するとかそういう次元でもないと考えていて、なんというかタイミングとかの出すという判断のところでするものであって、作るという行為と判断をごっちゃにしちゃいけないよなって思ってます。その中で今回、「水草」を、なんかいけそうな気がするコンペに出そうとしていて、今までざっくりと、作るという事と、出すという事を混ぜて考えていたんだよね。なんか今回のは心の底から出したいと感じているし、もっと見てもらいたい、その見てもらいたい次元みたいなものが、身の丈みたいなものが、すっぽりはまる上に、挑戦に近いドキドキも得れる、ピッタリなコンペが見つかった事は、この水草にとって物凄く幸福だったというか、これそのものは、誰かに頼まれて作ったものじゃないから、いわば成り立ってないものなんだけど、意図と言うか意志みたいなものがそこにはあって、もしかしたら?という淡い期待も含ませつつ、今、外に出す為に、仕立てて整えてるところです。作り続ける事が前提なんだけど、こうやって、結果いかんに関わらずガス抜きというか、ある地点の完結みたいなものを一度作っておく方法と言うのは、ホント必要なんだなと実感しています。なんとも4年ぶりの挑戦。ボクはこれにかけています。ダメだったら諦めるとかそんなんじゃないけれど、それくらいの意気で、どうせ出すんなら立ち向かいたいと思ってます。それはずっと目標にしていたものを、間近で見ようと抗う意味のない行為なのかもしれないけれど、ボクの全力がこもった「水草」を誰かに見てもらう事で、糧というよりも、もちろん結果は望むところなんだけど、けりみたいなもの、終着というか、決着というか。まだ続けていいのか、諦めさせてくれるのか、とかまで逝っていいくらいの精神状態の整理を一度、このコンペに出す事で得られるんじゃないかと思ってます。ボクの作った「水草」どうなんやろ!
2010.09.21 Tuesday | 2010年9月 | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) |



路上生活に向けて

でもまあ、なんというか、最近ツイッターばっかりで長い文章を書く脳が劣ってきているなあという実感の中で、久しぶりにこうやってブログに触れて、書く事が無くなるまで、毎日なペースでやってみようかなと思ってますんで、文章の下手さとか上手さ関係無しにたらたらと書いていくので、どうぞよろしくね。にしても最近の動向としては、というよりも、廻りがせわしなく、ボクにそろそろ稼がないとマズイんじゃないかと、多方面から言われるようになりまして、たしかにそろそろ危ないよなあという気分にさせられていたりするんだけど、実際のところどうなんでしょうね。ボクはこれからどこに行こうというのやら。これでいっそ彼女でも居て、子供でも出来てしまえば、踏ん切りついてとかいう話になるんだろうけど、どうやら、そんな気持ちも無いようで、今の生き方以外どうしろという気持ちでいっぱいだったりするんだよね。正直、毎日フルタイムで動いているし、それが対した事がない動作だとしても、僕という人間が行なうグラフィックデザインの面白さに変化は無いよねという話でもあったりで、個人的には、収入があと2、3万増えたら凄く助かるんだけど、それを前に、いつもお世話になってる人に話したら、説教をされてしまいました…。どうやら29歳で30万稼いでないのは相当危ないという事で、あんたは将来、路上生活やで!と言われる始末です。なんというか10万あったらなんとかなりそうな予感もしつつ、来年にはどうにかそれをクリアしそうで、30歳でやっとそれかい!!みたいなノリですけど、凄く凄く精一杯やらせてもらってるんだけどなあ…。30万ってのはなんか非現実的過ぎて、ボクには夢物語と言うか、正直、そこまで稼ぐとなると、今の状況と言うのを大きく崩さないと出来ない行動だよねっていつも思います。ならば、「捨てる」と簡単に判断しちゃうんだよね。大体からして、自分のやっている事がお金と直結しているとは到底思えないし、花形装飾活字だって、まあ、月に一個売れたり反応があったら嬉しいなあというくらいのもので、じゃあそれで何百万も稼ぐというのがいいのかというのはなんか違うよなあと。というのも、そもそもこれで稼げるなんてちっとも思ってないというのも、なかなか問題なんだろうけど。欲しいものがないんだよね。お金で買えるもので欲しいものが無い。しいて言えば、その日のご飯とお酒さえあればそれでいいんだけどなあ。それじゃあダメなのかなあ。旅行に行きたい訳でもないし。高級なレストランに行きたい訳じゃない。オシャレをしたい訳でもないし、なんかこう、お金を使って楽しむというイメージがまったく沸かないんだよね。もちろん生活に必要な最低限の収入というのは必要なんだけど、それでも、やっぱり「稼ぐ」というイメージというのがまったく無い。毎日、白い紙に向かって、鉛筆を握って、新しいものを考えていく。それじゃダメなのかな。それ以外に何かしなくちゃならないのかな。それをする為に、そんなにお金がいるのかな。そうそう、今日、つかまるくんとも話していたんだけど、なんで日本って「家」というものに対して「住む」という能力しか与えてないんだろう。なんで、作っている人達は独りで頑張っているんだろう。という事を話していて、どうして、1つの家を何人かでシェアするという発想に至らないんだろう、と凄く、本気で思ってます。「自分のもの」という意識が強いからかなあ。むしろ、モノ作りを本気でやろうとしたら、絶対にお金に困る事になるんだから、もっと積極的に、そういう奴らが集まって一緒に住めばいいのにって、ほんまに本気で、そう思ってます。なんで独りなの?なんで独り単位でしか、お金の問題って解決の方向に向かわないんだろう。なんかもっといい方法があると思うんだよね。作り続ける方法、スターダムじゃなくて、「やめない」上での作るというやり方。誰かホントにこういうやり方してるやつはおらんのかね。中途半端に作って、中途半端にお金稼いで、それでいいの???作るという欲求ってそれで満たされるの?これについては、いい答えを今年中に出そうと思ってます。
2010.09.19 Sunday | 2010年9月 | 23:44 | comments(0) | trackbacks(0) |