メール返せてません

いや、ほんと皆々様方へメール返信出来ずスイマセン。 なんかもう、いろんな事がいろんな角度からスゲー事になってて、 とりあえず卓袱台をひっくり返したい気分ですが、 もうすぐ落ち着いて落ち着くことが出来そうなので、 しばしお待ちくだされ。 なんか逐一こんな事なってるねん!と報告する程に豆な性格じゃないので、 なんか出た時に、 お、なんかやったなと思ってくだされば幸いです。 迷惑をお掛けしますが、どうぞよしなに。
2009.03.26 Thursday | 2009年3月 | 16:06 | comments(0) | trackbacks(0) |



デジカメたるもの

今日。不思議な体験をした。 本来ならそうじゃない事が起こってしまった事に動揺を隠せずにいます。 フィルムじゃないという事。 同時に受けた喪失という感情のやり場の無さを、 何処にぶつければいいのか戸惑っています。 この感情をカメラをしている人達は皆、経験したのだと思うと、 今、写真として評価される視点の在り方に理解を感じるし、 また、不幸にも感じます。 道具が限られているという事。 手段が制限されている事。 ボクはこれに手を出して良かったんだろうかと、 今更ながら迷っています。 一枚の重さがあまりにも虚しいものに感じたのです。 夢中になって切ったシャッターは単なる自分の意識のものでしかなく、 それが物質として変化をするに至る過程、 もしくは、 そのシャッターの意味するものへの喪失感。 切った!!! という感覚。 イメージ。 流れる時間。 過ぎ行くタイミング。 記録。 写真という意味が、 自分が追い求めていたものと違っているのだとも感じました。 そしてそれを懐古とするように定める評価。 そうじゃない!!そうじゃない!と思う。 その葛藤。 意識の枯渇。 イメージの推進。 写真とは何か。 写真における表現とは。
2009.03.14 Saturday | 2009年3月 | 18:58 | comments(0) | trackbacks(0) |



続、デザイン最高(再考)

最近はイメージとデザインについて考える事が多いです。 イメージを構成するのがデザインなのか、 デザインを構成するのがイメージなのか。 「文字」という狭間と制約の中で、 度々に「表現」という言葉が用いられてきました。 イメージがもしデザインを凌駕するなら、 デザインは変化が求められます。 また、 デザインがもしイメージを凌駕するなら、 そのデザインも変化を求められます。 デザインが変化すればイメージは変わる必要がないからです。 ではイメージとはなんなのでしょう。 イメージは不変なのでしょうか。 不変であるならデザインは変わる必要はありませんし、 とっくに定義され方法論として語られているはずです。 そもそもイメージの存在がデザインを必要とした時点で、 デザインは変わるべき特質を持ったと言えます。 もし、イメージが変わるものだったらどうでしょう。 イメージとは人のイマジネーションそのものであって、 意識によっては変化が生じます。 変化が生じるという事は定義出来ないという事になります。 そうなのです。 イメージもまたデザインによって変化が可能であるという事なのです。 なのだとすれば、 イマジネーションという行動がデザインなのででしょうか。 デザインはイマジネーションという行動そのものなのでしょうか。 イメージは無限です。 制限や制約のあるものではないのです。 それを制限、制約するのがあるとするなら、 人の意識であると言い切ってしまいます。 イメージを思考として置き換えた時に五感とは違う物であると考えます。 そしてここが重要なのです。 人のイマジネーションの限界が、 同時にデザインの限界であるというのは、 つまり五感に裏づけされた感覚以上のものは人は作り出す事は出来ないと思うのです。 モノづくりしてる人で、 よく、 神が下りてきた!とか言ってるけど、 そんなの所詮勘違いであり、 単なる五感で手に入れた経験則とイメージとを融合させた化学変化でしかないのです。 人の意識や思考でさえ怪しいものです。 五感が無かったらこれ程までのイマジネーションは得られいたでしょうか。 ではデザインが関係する五感とはなんなのでしょう。 デザインでさえも、 偶然性を構成する要素の関係が五感で読み取る全てであった、 という事なのではないでしょうか。 モノづくりは奇跡ではありません。 人の意識が起こした行動で五感なのです。 しかしこの論にも不可解な疑問が生じます。 それは意識と意識の融合です。 つまりアイデンティティです。 1つの五感で得た意識を一定の数の違う人と共有するという行動です。 わかりますかね。 これこそが「デザイン」なんです。 そして「イメージ」の在り方の意味は、 この前後で変わってきそうなのです。 それはアイデンティティを構築する前なのかした後のイメージなのかで、 大きく変化が生じ、 イメージという概念が2つに分けてしまえるのです。 それをデザインするという事は一体なんなのでしょうか。 もしイメージとデザインが隣合わせなら、 デザインという行動もまた、 同じ言葉にも関わらず2つの違うデザインが生じます。 とくに注目しているのは、 アイデンティティを構築する前のデザインです。 共有意識を構築する前のデザイン。 これって一体なんやろ??って凄く思ってます。
2009.03.11 Wednesday | 2009年3月 | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) |



インタビュー掲載

メルマガですが、 二週に渡って掲載されます。 長々と答えてしまったので編集が大変らしいです。 印刷とかデザインとかそういう内容です。 来週の水曜日までに登録したら読めるらしいよ!!今すぐチェキナ!! http://yohaku.biz/
2009.03.06 Friday | 2009年3月 | 09:16 | comments(0) | trackbacks(0) |



田辺マモル、ニューアルバム!

http://tanabemamoru.seesaa.net/article/114643497.html

久し振りアルバム出ます。 田辺マモル!!5月!ていうか急やな! というか今年は豊作やな、ムジカイーゼルも今年っしょ。 ていうか、 この2人出すタイミング一緒…もしかしてどっかでシンクロしてんじゃ!?
2009.03.04 Wednesday | 2009年3月 | 10:43 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その95



日本語はやっぱりカッコイイ。 漢字は中国のもんだけど、 それをアレンジして仮名やら意味を変えて遊んだ感が素晴らしいです。 うーん、花形装飾活字と日本語ってどうなんだろうってずっと考えています。 どうにもやっぱり同じように使う訳にはいかなくって、 今日の画像も凄く時間がかかりました。 いいんだけどね同じように使っても。 なんか日本語の持つ魅力みたいなのが押さえつけられた感じがして、 趣向の問題ですがイヤだという感想です。 個人的には英語より漢語より日本語が一番、字としての質は高いと思います。 何故なら遊んでいるからです。 遊びで発展したからです。 その楽しんで遊んだ感じが伝わってくるからです。 利便性や歴史的背景で言えば劣ります。 遊びすぎて其処をどうにも考えていなかったのかなあ。 デザインする時。 日本語は英語よりカッコイイと思います。 カッコよすぎて誰もウマク使えてないように思います。 デザインを始めた頃、 圧倒的に英語の方が好きでした。 すぐにカッコヨク作れたし、 ポスターとかも使ってる事が多かったから、 すぐにイメージが作れたんですよね。 日本語はそうじゃなかった。 英語と同じように考えたら絶対に無理だったのです。 とかのいろいろあっての話はいいとして、 日本語は日本語の時点で、 形式とかじゃなくって、 それを伝える言葉によって、 その世界が変わるので一定のイメージで構築は、 英語の場合と違って難しいと思いました。 (日本語は1文字ずつで意味があって、英語は塊で意味があるみたいな) だからかな、 日本の花形装飾活字は、 装飾として扱われる場合が多いのではないかなあ。 とまあ、 それでもこれについては、 使い方次第で使えると思いました。 ただ、 形式的な感じでやると明治維新的なノスタルジーになるので、 そういう趣向やったらありなんですけど、 現代のデザインにはやや抵抗はあるのかなあ、 どうなんだろうかなあ。 あ、そうか印刷という視点では全然使えると思いますが もしデザイン、タイポグラフィとか意識し始めると、 形式的には難しいように感じました。 情報の量を紙面の中で制限したり、 花形装飾活字ように空けてやればなかなかな感じやったんですが、 それやとやはり装飾になってしまい、 本来の目的が達成されないようです。 まだまだやり方はあると思いますが、 四隅で囲むのではなくて、 一角だけとか2隅に渡ってとか、 控えめな感じでいけばいいかと。 やはり英語をイメージとしてフォローする側面を持つ花形装飾活字の中で、 イメージとしての役割が強い日本語との関係がウマクいかないみたいです。 1つ。 希望的なものを言えば、 その形式です。 形式を意識した時にどうしてもやっぱり表彰状のようになるので、 「添える」という意識で、 対価として同じくらい強いものにするんでなくて、 そのバランスを情報に委ねるのか、 花形装飾活字に委ねるのかを一旦決めてから、 組み始めると、 いい具合にいくように思います。
2009.03.03 Tuesday | 2009年3月 | 12:07 | comments(0) | trackbacks(0) |