花形装飾活字を愛でる その73

これから、 新たな花形装飾活字を提示するためのシーンを作っていこうと思っています。 もちろん、 ボクの他にも同じように、 「花形装飾活字」ではないにしろ印刷というシーンに対して、 原点回帰、もしくは、 現在における印刷という価値の否定。 そして構築しようとしている方がおられます。 これについては、 今回、 この花形装飾活字を配布する事で知る事が出来ました。 数は少ないですし、 シーンはバラバラなのですが、 確実に現在の印刷に疑問を持っている人がいるという事です。 そしてなによりも印刷を愛しておられます。 アート、デザイン、個人、同人、 アプローチが違うという事であっても、 それがわかっただけでも大きな成果だったように思います。 側面は違っても花形装飾活字の包食袋は担うだけのものがあるという事です。 その在り方に可能性を感じずにはいられません。 そして今回は、 デザインという側面から初の文章を寄稿をしていただきました。 なんとも刺激的な内容です。 そして熱い。 これからグラフィックデザインの事を始めようとしている方、 グラフィックデザインの事を知ったふりをしている方、 とくに30代、40代以降の職能だけひけらかしている方、 そんな人達に是非読んで欲しい文章です。 では、どうぞ。

profile_________
[野口尚コ(NOGBo2X)]
武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。DTP・誌面デザイン会社の総務をしながら、個人で特殊印刷を使った作品制作を開始。 2009年1月に会社を離れ、素材・印刷からデザインまでの提案を行う[印刷の余白Lab.]を開始。 最近は小型活版印刷機を導入して色々実験中。
http://yohaku.biz/
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Theme「印刷とデザイン」
『ものづくりとしての印刷再考』

<版の喪失>
序文を兼ねて、ありきたりではあるけれど近年の印刷の話から。 この十数年ほどで、印刷とデザインの間に起こったことは「版」の喪失だった。 もちろん、今でも版は存在しているのだけれど、多くの若いデザイナーの意識の中からそれは薄らいでしまってしまったように思う。 DTPによって『印刷されるべきイメージ』を手に入れてしまったために。 誌面のデザインについて言えば、 DTP以前の印刷は活版印刷や写真植字という方法が用いられてきた。 これらはデザイナーのイメージを版下・製版の専門家と協力して版に落とし込まないことには、 どんな刷り上がりになるか分からない方法だったため、デザイナーはイメージ通りの版ができているかを常に確認する必要があった。 現在では、デザイナーがデスクトップで作成したデータそのままに版を作成し、印刷ができるようになっている。 それはデザインから製版までの作業が、場合によっては一人で完結してしまうことにもなる。 もちろん、私自身が版を意識せずとも印刷物のデザインが成り立ってしまう世代の人間だし、 懐古的に批判するつもりもない。 むしろDTPのおかげで、 版を組む職能がなくともクオリティの高い印刷ができるようになったのだから十分に凄いことだ。 データさえきちんとつくれれば、誰でも入稿できる。印刷という産業から見れば(技術革新の痛みは伴っても)市場が大きく広がったと言える。 はずなのだ、本当は。 いきおい市場の話になってしまったけれど、少し話を戻そう。 まず、印刷物のデザインが刷りものという物質から、視覚デザインに変化してきたことを確認したうえで、 「物質としての刷りもの」について考えてみたい。その紙に「何が刷られているか」ではなく、その目の前のものが一体何なのか。

<物質としての刷りもの>
私がモノとしての印刷をはっきりと意識するようになったのは、特殊印刷に関わるようになってからだ。 それまでも、DTP・誌面デザイン会社の運営部門にいたのもあり印刷は身近なものだったけれど、 刷り上がりや色の見た目の確認はしてもモノとして意識することは少なかった。 ひょんなことから、 会社の新しいウリを開拓しようという名目で(実際は、ものづくりとかけ離れた現場を脱したかったのだが)特殊印刷に強い印刷会社を探し始め、 特殊印刷の知識を収集しはじめた。いま様々なデザイン誌でも取り上げられているように、 特殊印刷の面白さはモノとしての質感にあるし、私自身もその面白さをどうやって生かすかを日々考えるようになった。 なかでも強く印象に残っているのが、 懇意にしてくださっている印刷所を取材させていただいた折、 箔押しの職人が「箔押しで大事なのは『熱・厚・時間』」だと仰ったことだ。 デスクトップでいかに頭をひねって完成させた気でいても、目の前の印刷物は確かに、 ディスプレイの光ではなく3馬力のマシンで 130℃、0コンマ5秒かけることで生み出されている。 そんな当然のことが衝撃でもあった。 通常のオフセットだってもちろん考え方は同じで、化学反応と圧と時間でできている。 その元には金属や樹脂などの版があり、インキや顔料が紙に定着されるプロセスを経る。 誌面のデザインが Editorial と呼ばれ、視覚表現が Graphic と呼ばれ「表面をデザインする」ことに名前がつき、 それがデスクトップで行えるようになった。 しかしながら印刷物そのものは平面と Industrial の狭間にある。その視覚と物質の境目を繋いでいた「版」の在り方も変化してしまった。 2Dのイメージがモノになるとき。そのギャップを埋めるのは、デザイナーの想像力にかかっている。

<コンテンツの物質化と贈与>
次に、モノとしての印刷物と、「印刷されるもの」との関わりを考えてみる。 コンテンツを、モノにする、それも複製を前提としたモノにすること。 DMを印刷する。木版を彫って瓦版を刷る。聖書が活字で印刷され本になる。 それらは、バラまくことも、預けることも、保管することもできる。何にせよコンテンツをモノして分け与えることができる。 モノを介さないコンテンツの伝達として、 口伝であったりwebであったり方法は色々あるけれども、 それらは「情報」のため伝わった途端に姿を消してしまう。 逆に手書きの原稿や絵画など「オリジナル」しか存在しないモノの場合は、 与ることはできても共有できない。印刷の場合、コンテンツを贈与しながら共有することになる。 さらに同じ印刷物でありながら、それぞれが違う扱われ方をし、違う歴史をその身に刻んでいく。 ごく簡単なところに帰ってこれば、印刷物の制作は基本的に「渡すこと」を前提にしている。 コンテンツという形なきものを、紙というフレームに収め、渡すこと。 その価値は、コンテンツだけでなく相応の「手間と美しさ」があることもポイントになる。 web上で見る小説と、文庫本の小説と、活字を組んで印刷された小説では、コンテンツは同じでも受取る側にとっての価値が違ってくる。 身近なところなら名刺や季節の挨拶など、何気なくやり取りされているものを Gift にすることもできる。 デザインは、それぞれのコンテンツに合わせたメディアを考え、それぞれのメディアに合わせた価値をつくりだすものなのだと思う。 そのため印刷では、表面のみでなくモノとして捉える視点がやはり大事なのだ。 にもかかわらず印刷のデザインが視覚で語られることが多いのは、 DTPの影響だけでなく、 広告としてポスターや中吊りなど「見せるだけの印刷物」が増えたのも関係しているように思う(これらは必ずしも印刷である必要はない。 液晶だって良いのだ)。見せる効果のノウハウが広く学ばれるようになり、視覚デザイン=印刷のデザインのようになってきてしまった。 それはひとつの表現で、印刷の使い方ではないことに注意したい。印刷は技術であり、技術は使い方次第で多様な表現を可能にするものだから。 話が仰々しくなってしまったけれど、ここまでの断片を一度まとめてみる。

・印刷のデザインは、DTPによって専門職でなくとも扱えるものになった。
・しかしデータ上のデザインと印刷工程にはギャップが生じている。
・印刷はあくまでものづくりの技術である。
・印刷物はコンテンツにカタチを与え、渡せるメディアである。

で、そこから私が伝えたいことは何かというと 「もっと技術を使ったものづくりの側から、印刷に入ってみてもいいんじゃないか」 ってことなのだ。(かなり飛躍……) グラフィックがどうとか文字組がどうとか確かに大事なんだけど、それは印刷物を追求していけば必然的にぶつかる問題で、 必要ならできる人間がナビゲートしてあげれば良い。 まず誰もがものづくりを楽しむところから印刷の世界に入ってみたっていいんじゃないかと思う。 それに、改めてモノとして印刷物を見たとき、そこから新しいデザインが生まれるかもしれない。 そして、印刷の面白さという意味では、特殊印刷は多様で奥が深く、原理はむしろシンプルなものが多い。 やってみないとわからないし、できるならやってみたいと思っている人は多いはず。 その機会をいかにデザインしたらいいだろうか。

<個人という市場>
始めに述べたように、技術的には個人でも簡単に印刷の入稿ができるようになった。 私は(特に特殊印刷の市場として)デザイナーのプライベートワークや、 それこそデザインに関わりのない一般の方が印刷物をつくっていくことに可能性を感じている。 けれど、印刷物を個人で依頼するにはまだまだハードルがある。

・事例が少ないこと。
・発注のルートが分かりにくいこと。
・印刷所とのコミュニケーションが難しいこと。
・デザインと印刷がセットで依頼しづらいこと。
などなど……

まず、実際に見て触れたものでないと「やってみよう」とはならないのが当然で、 「印刷をこんなふうに使っています」と送り届ける人が必要だと思っている。 有名なデザイナーが扱っているからといって、自分もやろうとはそうそう思わないはず。 印刷の面白さを発信する個人が増えないと、浸透していくのは難しい。 そして、自分でも印刷をしてみたいと思ったとして、そこには大きなハードルがある。 どこに、どうやって頼んだら良いか分からないということだ。 情報を集めるのに、まずwebで検索することが多いと思う。 しかし印刷はもともとアナログ仕事な業界でもあるし、今でも良い加工をなさるのはお年をめされた熟練の職人たちだ。 情報公開を積極的にしているところはごく限られている。 しかも、印刷所がいかに素晴らしい仕事をしても、それはデザイナーや出版社の仕事であり印刷所の名前が知られることは少ない。 また、印刷業界というのは、出版社の仕事を引き受けるような大手の印刷所を除き、 ほとんどがそれぞれの得意分野を持ちながら分業している(大手だって難しい加工は、 得意な中小の印刷所に任せることも多い)。頼んだ加工が得意なところと、 そうでないところでは仕上がりに大きく差が出るし、下請けに出てしまってコストや納期が大きくかかることもある。 自分のやってみたい加工を扱っている印刷所を調べるのも一苦労なのに、何社も比較検討するような手間はかけていられないだろう。 さらに、印刷所の側でも業界外との仕事には慣れてないこともあるため、 上手くコミュニケーションをとるのが難しい場合もある。 「予算がこのくらいで、ちょっと面白いことをしてみたいんだけど、 どんなことができるの?」という相談を受けてくれるような、開かれた窓口が少ないのが実状だ。 それとも関わってくる問題で、デザインから頼みたいという場合に、 印刷に詳しいデザイナーはそれほど多くない。先にも触れたように、 グラフィックなどを手掛けるデサイナーと印刷は分業が進んでしまい、 紙や印刷方法から提案することのできる(その機会が与えられる)デザイナーは限られている。 印刷所の中にデザイン部署がある場合もあるが、やはりこだわったデザインがしたいとなると難しい。 ……と、夢が遠のくような話をしてしまったけれど、 これらは私が「紙や印刷方法から相談を受け、印刷所の手配も含めてデザイン提案をする」窓口になろうと決意した理由なのである。 私自身、まだまだ奥の深い印刷の入口に立ったところだけれども「印刷所に相談が投げられる人」が間に入って、 上のような問題を緩和していくことで印刷業界の入口を広げていけるのではと思っている。 そして、長くなってきたので最後に私の夢をひとつ語らせてもらうと「印刷をくらしのなかのレクリエーションのひとつにしたい」のだ。 記念日に美味しいディナーを食べに行く、年に一度は海外旅行へ行くようなノリで、 日々のちょっとしたイベントのひとつに「印刷」という選択肢を取り入れてみたい。 そのための方法はまだまだこれから考えなければいけないけど、 この文章を最後まで読んでくれるような人が居たとすれば、希望はあるんじゃないだろうか。 これから自分が活動していく中で、様々な「印刷の在り方のデザイン」を考えている人が見つかることを願っている。

(2008.10.26 野口尚コ)
2008.10.28 Tuesday | 2008年10月 | 11:37 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その72

花形装飾活字において正しき版とは。 何を正しきとするかという表現が近いかもしれません。 ロケーションや可能性も含めて、 選択肢を自ら自ずと見出し、 その正解が正しき版であるとするべきです。 この場合の正しさとは可能性の一つを指します。 いろんな要素や目的を踏まえて導き出した正解の1つが、 アウトライン化というトレース作業にあって、 花形装飾活字からの可能性の現在における着地点という設定にもあって、 前提としての正しきではなく、 どの地点から汲み取るか選定した正しさの追求。 その正解は無数にあって、 そこからの1つが今回という訳です。 何よりも汲み取らなければいけないのは、 今回の場合というのはその汎用性であると思います。 現代の技術に沿わした汎用性はもちろんの事、 当時の花形装飾活字の特性を生かした汎用性の2つを考慮すべきです。 それらをキープしつつ、 その完成された美術的要素を生かす方法も配慮しなくてはいけません。 重要な事はシュミレートする際に、 重大なミスに気付くかどうかにあります。 ミスを修正する勇気こそが必要です。 また、 修正出来るタイミングの考慮を作業ベース以前にしておく事も、 工夫の1つやと思います。 最初の考えの修正は容易ではなく、 それが作業を進めれば進める程に実行する勇気の必要が出てきますが、 その完成度をあげるという意味では、 かならず修正はすべきです。 版の完成度とは、 この場合には複数の意味合いがあります。 個々のオブジェクトとしての完成度、 全体を見通した完成度、 最後に実際に組んだ際に発生する完成度です。 最後が一番重要です。 最初の2つも重要なのですが、 実際に組んだ時に違和感が発生するなんて時は、 「失敗」なので諦めて修正する事になります。 そうしていいところの着地点を見つける頃には、 げんなりして、 花形装飾活字の事なんて大嫌いになって、 思わずキー!!ってなって投げ出しそうになりますが、 そこをグッと堪える事で完成に至りますし、 気付けば限定的ではありますが、 花形装飾活字について言えば、 ほとんどマスターしてるってのなもんなのでした。
2008.10.24 Friday | 2008年10月 | 13:22 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その71

前回の続きからです。 印面を「彫る」という概念でシュミレートし、 それをアウトラインというシステムでどう再現するかについて前回書きました。 今回は、 それに基づいてどんな懐の元で実現したかを書いていきます。 ただし、 あくまで懐の話なので、 利用を制限するものではない事を予め伝えておきます。 印面を彫るという事は、 基本でありベーシックである底を、 物質に委ねるという事になります。 理論に委ねるのとの大きな違いは、 正しさの差異とでもいいましょうか。 両方とも間違っていないのです。 例えば、 当時は鉛だったでしょうか銀だったでしょうか、 おそらく銀だったでしょう。 デザインを設計し、 銀に対して彫る、または流し込むという概念を与える事で、 物質化し、 それを利用する事で活版は成り立ちます。 その場合、 印刷された紙面は、 彫られた版に依存する事になります。 その概念を採用するのが物質に委ねるという事なのでしょう。 理論に委ねるというのは、 設計部分のみを汲み取り、 まっさら綺麗な失敗の無い版をシュミレートするといったものです。 考え方としては他にもありそうですが、 大きく分けてこの2つになります。 そして今回。 今回のメインにドッシリ置いたのが物質に委ねるという事でした。 が、 当時の銀版や雛形を再現するのでしたら、 コンピュータではなく手彫りにこだわればいいのです。 それは今回の場合は違うのでしょう。 いかにコンピュータでの利用を促すかがテーマでもありますし、 その可能性の大きさを感じたからこそ、 この作業の始まりがある訳です。 出来れば到着点、着地点としては、 考えられる限りのものにするべきですし、 利用の幅を最大限に引き出せるような在り方が望ましいと考えました。 版の正しさよりも利用のロケーションや方法を選ばないものを目指しました。 単純に当時の銀版や雛形を手に入れるのは無理です。 かといって正確な印刷見本なんてそうそう出会えるもんじゃござんせん。 その中で発想としては、 紙面に刷られるインクの部分が全てであり、 そもそもの印面、もしくは彫られた印面もまたその要素であると考えたのです。 設計理論に沿った正しき版は正しき版として素晴らしいですが、 なんといっても、 今回の場合というのは、 正しさよりも利用の際のその再現性を目指す事にしました。 要素として印面もまた花形装飾活字の美しさの形成する1つでありますし、 印面をシュミレートする事によって、 そこから正しき設計への修正もまた可能であると気付いた事にあります。 つまり、 正しき設計はどうなのかというのは続く。
2008.10.17 Friday | 2008年10月 | 09:56 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その70

花形装飾活字をアウトライン化する、 トレースするという事について。 本来は、版を彫る、または雛形に流し込む(元は彫るか…)事で作成されるものを、 コンピュータ、 今回は限定的にアドビのイラストレーターというソフトを使って、 ベジェ曲線という当時は学生さんが考えた理論を使ってトレースを行いました。 現在の最新版のソフトにおいては、 画像のサンプルさえあれば、 機能としてのアウトライン化が可能であり、 トレース作業は自動的に、 完璧とまではいかないにしろ、 一時期的、 急場凌ぎには充分なクオリティを得る事が出来ます。 ただし画像のサンプルへの依存が前提となります。 その中で今回の場合は、 機能としてのアウトライン化は行わず、 あくまで1ポイントずつを策定し、 画像サンプルについても、 それを再現ではなく、 あくまで参考として扱いました。 実質的な期間としては8ヶ月かかりました。 まず、 これついては技術であって、 賛否両論あると思いますが、 それはひとまず置いといて、 今回行った作業としての結果を書いていきます。 サンプルについて。 サンプルは、 アイデア325号付録に収められた印字を使用しました。 サンプルとしては、 おそらく原寸ではなく、 サイズについても充分な大きさと質であったとは言い難いものでしたが、 個人が手に入れれる資料としては唯一のものであると感じました。 これについては、 今後有力な資料が見つかり次第それに伴った修正を加えていければと思います。 トレースの方向性について、 上記で記したように、 画像のサンプルとしては不十分でしたし、 ましてや、その雛形を手に入れるのは至難の業(というか無理)なのでしょう。 ですので、 作業としてはまず、 線を知らなければなりません。 版の欠けている部分、 左右対称である場合にはその平均を(決して同じではない)、 また、印圧による擦れや滲みについても考えなければならないと思います。 その元の印面をいかに想像しうるかが、 トレースの完成度を左右します。 そうしていく内に過去の失敗もまた露呈します。 それが意図であったかは定かではありませんが、 明らかな失敗はこちらでこっそり直してあげる事も可能です。 そしてトレースの方向性です。 いかにその線を紡いだとしても、 その想像しうる印面をそのままアウトライン化するのか、 理論として彫る上でのロスを無くすのか、 それか独自の視点で丁度良い着地点を見つけるか…。 これについては、 花形装飾活字をトレースする上で一番重要であり、 その作業者にとっての分かれ道のように思います。 今回について選択した着地点は、 いかに想像に徹した印面を生かすかということです。 花形装飾活字の美しさはその印面にこそあるというのは、 事前にその印面のロスを無くす方法でトレースをした際に気付いた点でもあり、 同時に印面そのもののロスは全てではないが意図されたものであったと、 気付いた事が大きいように思います。 これついては以前にどこかで書いたのでどこかに載ってるので、 興味がありましたら探してみてください。 という事で、 印面に配慮する事を着地点にしたのですが、 これついても、 実は意図があって、 最終の到着地点はやはり印刷にあります。 活版かオフセット、個人レベルでしたらインクジェットかレーザーでしょうか。 もしくは印画紙にも有りえるかもしれない。 これは全て三者三様ですが、 紙にインクが乗ります。 それがアナログかデジタルかは分かりませんが、 その最終である紙にインクが乗る瞬間は物理的であり、 技術的な差異はあるものの、 一定のランダム性、 印圧による擦れや滲みに似た現象が、 同じように起こりうるものであると考えているのです。 元はデジタルなデータであっても変わらないのです。 その発想を元とすれば、 トレースの方向性はおのず決まってきます。 それは、 「版」を作るという事を、 コンピュータ上で行うという事です。 これも以前に書きましたが、 モニターを介した紙面を完成とするのか、 紙にインクが乗った瞬間を完成とするのかでは、 大きなイマジネーションの違いが生じるという結論からのものです。 つまり、 印刷所にはグラフィックデザイナー不用論も、 ここからのものなのですが、 それは置いといて、 コンピュータは極上なシュミレート機です。 「再現」を行う上では天才的な能力を発揮します。 そのせいで、 コンピュータ上で行われている作業が現実であると、 錯覚してしまうのもまた事実であり、 実際に現在に使われているデザインソフトの多くは、 それを利用した仕組みになっているのは、 異論の余地のない現実であると言えるでしょう。 グラフィックデザインにて、 コンピュータを扱う上で何をシュミレートするか、 というのは大きな課題です。 その中で今回は、 花形装飾活字という選択肢の元、 その印面、 すなわち「版」をシュミレートする事にしたのです。 作業について。 作業は単純です。 トレースの方向性として「版」をシュミレートする事は決まっていましたから、 予めの解釈の中で想像しうる出来るだけの、 鑑識と知識を身体に染み込ませて、 後は「彫る」作業をコンピュータ上で行えばいいのです。 つまり8ヶ月かかった理由がここにあります。 本来、 線をなぞるだけなら2ヶ月、もしかしたら1ヶ月で終えれてたのでしょうが、 「彫る」訳ですから、 ポイント数にしてエゲツナイ数字になったのは、 思い出しただけで吐き気がします。 続く。
2008.10.15 Wednesday | 2008年10月 | 10:55 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その69

花形装飾そのものは、 時代に関係なく使われてきましたし、 今もドンドンと作られてます(どちらかというとノスタルジー的ですが)。 花形装飾活字に言えば、 テクノロジーの点から言っても、 時代遅れのようです。 単に装飾であれば、 今のコンピュータのテクノロジーを使えば、 容易に手描きであっても複製が出来、 活字なんて体裁を取らなくて、 その役割を担ってくれる事でしょう。 やはり、 時代の中で、 花形装飾活字無くなる大きな一手でもありましたし、 しぶとく使っていくというのも何か違う気がします。 銀版をもう一回彫るくらい意味の無い事だと思うのです。 もちろん、 それに可能性があるのだとすれば、 否定をするものではありません。 写真の存在も、 花形装飾活字を衰退するには充分なインパクトでした。 というのは今まで書いてきました。 今回は、 その中で花形装飾活字という可能性が、 どこにあるのか解説出来ればと思います。 大きな問題はシーンがそれを求めていない事にあります。 それを扱うシーンが限りなく少ない事でしょうか。 もしかしたら印刷の本場のドイツあたりなら考えられなくはなさそうですが、 カリグラフィーにしろ、 そのポジションはメインでないのは明らかです。 メインは写真でありイラストなのでしょう。 その可能性にグラフィックデザインは集中しています。 伝達という意味では写真は格好の手段ですし、 同時に装飾的でもあります。 イラストが印刷で使用出来る時点で、 活字のその役割を影を潜めるのは偶然ではなかったはずです。 テイストという言葉でもくくられてしまいそうです。 ノスタルジー。 それが基本にあるようにも思います。 書体、 であれば、 その世界に広がりがあります。 ノスタルジーではなく、 現代的なアプローチな発展が見られます。 常に変化があり、 伝達手段のメインとして、 明らかにその利用は無くなる事は当分なさそうです。 まさにそれを彩る争奪戦に負けちゃった花形装飾活字、 だからといってそれがまったく機能しないという判断は、 いささか急ぎすぎです。 最初にも書きましたが、 重要なのは、 扱うシーンが少なすぎる事にあるのです。 で、 ここでグラフィックデザイナーの存在が鍵を握ります。 技能の在り方は別の話題になりますので置いといて、 シーンを作るのはグラフィックデザインの役目なのです。 それをキチンと使えるようにする作業が、 今のグラフィックデザイナーには求められていると言い切っていいと思います。 絵を作る事がグラフィックデザインだと勘違いしてしまっている現状が、 もちろん絵を作る事は大切な1つな技能なのですけど、 それだけだとグラフィックデザイナーたる視点としては、 足りないのですが、 そういう事を書いていると、 本題からドンドン離れていくので、 これも置いといて、 そうなのです。 シーンの作成させすれば、 花形装飾活字そのものは素晴らしい機能を持ったものですから、 すぐにでも実用的に使えるのです。 ただ難しいのは、 その時間の在り方の違いです。 形式ともいいましょうか。 写真であれば、 撮影すればそのフォーマットを簡単に変える事が出来ます。 イラストも描いてしまえばいいのです。 が、 花形装飾活字はそうはいきません。 一度作ったフォーマットはそう簡単に変える訳にはいきません。 これが、 現代において、 置き去りにされた大きな要因であると考えています。 そして何よりも、 そのフォーマットを作成する事は非常に難しく、 「時間」がかかります。 書体の作成にも同じ事が言えますが、 違うのはその利用は非常に限定的であるという事が挙げられます。 「時間」の概念のミスマッチが、 今の現状を生んでるとしても、 文章のその整理性に関していえば、 今まで散々書いてまいりましたが、 その能力は他の追随を許さない出来になっています。 時代は整理性よりも伝達性を選んだ結果が今の状況であり、 それと平行して、 グラフィックデザイナーの在り方も、 その画面の伝達性に集中する事になります。 それが今のグラフィックデザインとして成り立っている訳です。 この時代性を変化させてまで、 花形装飾活字に可能性を見出そうという事ではありません。 何回も書きますが、 重要なのは「シーン」なのです。 グラフィックデザインとしてボクらが認識しているシーンとは別に、 違うグラフィックデザインを構築してしまおうというのが、 今回の書くべき可能性です。 今回のダウンロードで臨むべきは、 別に花形装飾活字が活躍する事ではありません。 それが世間的に大きな事になっていく事ではないのです。 その世界の広がりには期待はしていますが、 核心の意図としては実は別にあります。 それはまた今度。
2008.10.11 Saturday | 2008年10月 | 12:42 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その68

パターンについて。 版を構築するには、 役割や状況に合わせて特定の装飾を選ぶ事になります。 たくさんの種類では選ぶには四苦八苦するので、 前回まで4回に亘って紹介しましたパターンのように、 少なくする事で選択の余地を軽減する事が出来ます。 選択の幅が狭まる事で、 構築のクオリティアップにも繋がりますし、 オリジナリティでさえパターン化する事が出来るので、 装飾活字を扱う際には非常に重宝な存在です。 というのは前回までの講釈でして、 今回はもう少し突っ込んで書きます。 パターンの構築という視点をどこに持つかというのは重要です。 今までこちらの解説では個々に「組む」という視点でのみ書いてきましたが、 パターンの構築の理由は実は「組む」というく利便性のアップだけでなく、 紙面を構築する際の共通性を持たせる役割があります。 例えば50ページくらいの紙面を構成する場合に、 1ページ毎がバラバラのパターンでは統一性に欠けます。 また逆に1つだけのパターンだとそのランダム性にも欠けて、 なんともつまらないものになります。 そんな時に、 そのページの構成を踏まえてパターンを予め決めておき、 共通のテーマや、 その内容に併せて、 パターンを変えたり同じにしたり、 単に装飾を彩るのではなく、 1つのアイテムとしてパターンを構築していく事で、 よりエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字を使いこなせたといえます。 これ程までに小規模から大規模までに対応している装飾活字はめずらしいと思います。 版の形状や特性を知り、 組み方の基本を踏まえて、 より深く個々の追求を行い、 独自のパターンを作り、 それらを駆使して紙面を作っていく、 なんとも教科書のようですが、 何もマニュアルもないのに、 全部教えてくれます。 使えば使うほどにその自由度が増し、 まだまだ底を知るところではないのがわかります。 そして1つの仮説が考えられるのです。 これは制作者は予見していたのではなく、 実は単に奥がない限りなく深い自由のプールを作っただけなのではないでしょうか。 それを今こういう解釈で見ているだけなのかもしれません。 ですが、 当時は産業革命の直球ど真ん中の時代でもあり、 印刷技術が飛躍的に伸びた時代でもあります。 多量の紙面の印刷物が大量に刷られる状況は容易に予想出来たはずです。 限りなく現代のグラフィックデザインの考え方に近い発想で作られているというのは、 書いて参りましたが、 だとすれば1900年代のデザイン創世時代の基礎がここにあったという事になります。 で、パターンの話に戻ります。 次に、 このパターンのやり方を今のグラフィックデザインに置き換えて考えると、 いかにその発想の元に対して追及が成されていないのかがわかります。 故にそのパターンの構築というところまでいけてないのである。 もしそのパターンの構築があるとするならば、 「文字」という事になりよります。 「文字」という自由のプールにはどっぷりつかる事は出来るでしょう。 それはつまり基本なのです。 文字だけではその紙面の整理性には限界があります。 わかりますかね、 つまり、 花形装飾活字と文字活字とそれに付随する装飾絵で構成していた時代よりも、 現在のグラフィックデザインは、 その1つの紙面に対する「元」がなってないんです。 現代における技術的な開放については先日書いたばかりですが、 1つのポスターでさえその追求は浅はかであると、 大きな口で言いたいと思います。 技術の開放は結果の確認を安易なものにしました。 いろいろ試せます。 それを否定するつもりはありませんが、 フォーマットの部分を我々はずっと作り続けている状態なんです。 もしくは、 定められたフォーマットでしかそのパターンを追求していない訳で、 フォーマットの浅はかさが、 現在のグラフィックデザインのレベル低下に拍車をかけています。 フォーマットを皆が頑張って作っているのにも関わらずオリジナリティを確立出来ないのは、 それが自由のプールではなく、 限られたパターンでしかそれを構築出来ない事にあります。 フォーマットにはオリジナリティは存在しません。 なんといってもフォーマットですから、 それらを構築するパターンにこそオリジナリティが存在すると考えています。 ではグラフィックデザインとは何か。 これについては話題が変わるので次回以降に置いときます。 アイテムによってそのパターンのあり方を考えるという方法。 是非試してみてください。
2008.10.06 Monday | 2008年10月 | 11:09 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その67


パターンDです。 最後のパターン。 正直、なんじゃこりゃー!!という感じです。 非常にくどいくらいにゴツゴツしております。 種類も多く、 きっと正方形の大きめのやつたちは、 上手いこと使い分けてくれ的な意図がプンプンします。 ブロックのように繋げる、 旧来の装飾活字の特徴を前面に押し出したものなので、 その用途でいうと、 バリエーションを豊富にしたという感じなのでしょう。 新しい試みのABCで、 従来の方法論のDなのでしょう。 そういうDです。
2008.10.02 Thursday | 2008年10月 | 10:41 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その66



パターンC。 いろいろ工夫を教えてくれるパターンです。 枠をメインに置くもよし飾るをメインに置くもよし、 工夫次第でどうにかなっちゃうパターンやと思います。 大きい版が無いのも特徴です。 大きい版が無いので、 小さい紙面向きでもありますし、 逆に大きい紙面の場合には多くの版を埋める事が出来、 版そのもののイメージよりも、 組んだときのイメージが先行します。 複数の紙面で構成する場合には、 例えばAとCの2つを使ってみたり、 Cに対して何か別の版を加えたりしてみるのもいいかもしれません。 パターンに対しても、 ルールを与える事で複数の紙面がある場合の工夫にもなります。 と、 これについては後々に別にまた深く書きたいと思います。
2008.10.01 Wednesday | 2008年10月 | 13:00 | comments(0) | trackbacks(0) |