花形装飾活字を愛でる その3


今回は2237。 槍というかピンというか前回の2235や2236と比べると、 その形状のイメージに違いがある事がわかります。 前回の役目が文字の位置付けなら、 今回のこれは釘付けでしょうか。 文章に釘を打って留めるような役目があるような印象です。 塀のように囲むというよりかは、 どこか攻撃的でまさにランス、槍や矢のようです。 この形状については今後似たものが数種出てくる事になりますが、 イメージの段階といいますか、 今回のこれが基本であり役割を崩すことのない設計は、 これがどれだけの精査の元で考えられたか理解が出来ます。 その検証については今後ゆっくり書いていく事になりますが、 これ以上線を減らせば崩れてしまう、 ギリギリのラインを知った上でのこの形なのです。 そしてそのイメージがどこの部分で構築されているのか、 わかった上での設計だと言えます。 前回も書きましたが、 このように装飾活字はあくまで文字を整理するために準備されたものであって、 逆を突けば、 その役目を探る事で装飾活字の正体もまた具体的な実体として理解が出来、 美しくはあるけれど、 あくまで制限の中で成立するもので、 もっと書けば、 1つの装飾活字の追求をすれば、 こういった再現ではなく、 まったくの新しいシリーズとして自主的での制作は可能なのです。 これって200年前の時代性にあったデザインであり、 現代の感覚に合わせた装飾活字もまた実現はありえると思うのです。 例えば、 懐古的にこういったものを嗜むのもありかもしんないし、 研究や検証を追求も凄くありなんだけどね。 なんだかなあという感じです。 たしかに美術的な要素として捉えられリスペクトの元で、 イラスト等に使われている場合もあります、 これももちろんリバイバルといえるし時代性に合わせた使い方なんやろうけど、 もう一回書きますが、 これは文字の整理という役割以外のなんでもないんですよね。 単に装飾として捉えた場合に、 その物足りなさは目に余る物があるし、 それやったらミュシャぐらいの装飾に対するデッサンを見習った方がええですわな。 当時の活字印刷の限界、単色印刷としての限界の袖を、 絶賛するような価値観でありなのかどうかちゅう話で、 汚く書くと、 その上っ面だけを掬うとどうしても美術的な美しさに目がいくのです。 今回の2237なんてのは単体で考えると、 その美しさは無ですよね。 がその役目で使う事で「美しい」が際立つのです。 わかるかな。 今日はこの辺で
2008.06.30 Monday | 2008年6月 | 11:27 | comments(0) | trackbacks(0) |



終わっだー!!!!!

ああ、苦悩の9ヶ月。 長かったなあ、しんどかったなあ。 何回挫けそうになった事かわかんないや。 一番辛かったのは線の太さを途中で計算ミスしてて、 半分くらい完成してて折り返してやり直した時、 あれはさすが止めようかと思った。 忘れもしない3月の事。 そのおかげで辿りついたクオリティでもあるけれどね。 とうとうこの日が来たんやなあ。 始めた当初は終わりがくるなんて想像もせいへんかったなあ。 終わってみればあっけない幕切れやった気もする。 ほんまに大変やってんて。 ほんまに計算したら、 総アンカーポイントが50000個超えてたからね。50000個て…。 スゲーなあ50000…。 前に一回6000ってのがあったけど、 そんなん屁やな。 ええねん、 誰にもこの喜びはわからんやろうなあ。 嬉しすぎて書かずにはいられへん。 と言いつつテストや調整でほんまにちょっとの微調整は続くけどね。 組合わした時の線の具合がどうかやな。 まあ、それはさておき。 今の状態でも充分に自信を持って送り出せます。これだけは言える。 そんじょそこらの人が試しに作ったレベルじゃないかんね。 この6年の装飾活字に対する研究も含めて、 次の本当のやろうとしてるステップの最終段階の結果です。 本当は次が勝負。 とりあえず今は、 完成した造形を眺めながらウフウフ言いながらグダグダになるまで呑んで寝ます。 やっだー!
2008.06.27 Friday | 2008年6月 | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その2

解説の最初は「2235」と「2236」。 互いに対照的な図案であり、今回の中では最もシンプルかつ汎用性に優れている。 そもそも花形装飾活字は装飾という一面がクローズアップされるが、 その利用はルールの取り決めにある。 文字にその役目を与え読む人にその補助をおこなうのが、 なによりもの使命。 ようするに視覚的に美しければ人の目を惹き読みたくなるんじゃねえの? という、 きっと凄く安易な理由で生まれたもんである。 んな訳なかろうがきっとそういう事である。 しかしその追求された汎用性と美意識は賞賛に値する。 しかも100年以上に流行ったシロモンである とまあ、 ここまでが花形装飾活字なんだぜって事で、 今回のこの2つは、 その中でも単純で線が少なく簡単な図案である。 単に文字を整列させる為に普通の線で行えばその目的は達成される。 が、あえて装飾を与えている。 それも必要最低限のアプローチ。 これ以上減らしても、 これ以上増やしても、 そのイメージはすぐにでも崩れてしまうのだと思う。 そのギリギリを良く知り、 どちらかというとこれ以上増やせないギリギリのライン。 増やせばきっと目に邪魔で、 この目的にそぐわない意味ないものになるんじゃないかな。 減らしても同様で、 単なる線になるやろうし、 その中間を取ったとしてもここまでの美的センスは得られない。 使い道は多種多様。 これ1つでも多くの事が出来る。 まず文字を囲むというやりかた。 単なる線以上にその束縛の効果は大きい。 そして抑圧。 文字のイメージに天上を作ったり地面を作ったり安定性を与える事が出来る。 これも単に線で行うよりも、 片方に装飾がある事でその強さは明確なものになっている。 最後にテーマ性。 いわば題名と文章をわける小さなきっかけを作る事が可能で、 これも装飾だからこその絶対性を得ている事がわかる。 単純だからこそ、 これだけの事が出来るし、 これだけのオブジェクトであるにも関わらず、 ここまでのイメージを構築する事が出来ている。 構成している装飾が簡単だからといって侮ってはいけないのである。 上の例の他にもアイデアを膨らませれば、 まだまだ使い方があるはず。 最後にコンピュータと印刷を連動させた新しいやり方として、 まず、 色を多岐に渡って提案出来るという事。 そしてそのアイデアは無限にあるという事。 一番の上で言うと、 1つはそのままの色で白い紙に刷る事は可能であるし、 その場合にはオレンジの部分のインクの乗り具合が非常に楽しみであり、 真ん中の白いインクの乗っていない静けさに薄い色の装飾がくる事で、 線と文字の黒に負けない強さがあるように思う。 アイデア次第では、 オレンジの紙に白の紙に刷った真ん中部分を貼る事で、 2種類の紙を使う事が出来ちゃったりする。 次に写真との組み合わせである。 これってカッコイイよね。 単にデータで流して印刷しても良かろうし、 写真と版を分けて刷っても良かろうし、 写植的に焼くときにOHP等のフィルムに刻印しておいて印画紙を重ねてやれば、 それそのものを製版というやり方も面白いと思う。 下のやつは、 こういう版をつくっておけば、 色を変えていろいろ遊べそう。
2008.06.24 Tuesday | 2008年6月 | 00:31 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字を愛でる その1

正式アナウンスは当分先になりそうなので、 今回、アウトライン化したエンスヘデ活字鋳造所による、 シリーズ60の2235から2293までの1つずつ図案を、 その魅力と合わせながら欲しくなるように誘導出来ればという企みの元、 次回から解説をしていこうと思います。 この活字見本帳はアイデア325号の別冊付録にまとめられた、 花形装飾活字の名作精選によると、 1891年のもので100年以上も昔の図案です。 この時代を超え色あせないデザイン性は、 現在のグラフィックデザイナーの能力の無さに、 お灸を据えるべく躊躇にたくさんの事を教えてくれます。 この号のアイデアの冒頭に、 今、グラフィックデザイナーが気にしなくてはいけない技術は、ルールである。 と書かれています。 コンピュータを使って自由に制作が出来る今だからこそ、 その束縛のルールをどのように構築出来るかが、 今のグラフィックデザイナーに問われているのです。 これは、 ボクの世代でいうところの、 仕事や職場については語れるがそれそのものについては語れない、 薄っぺらい言語の中で、 そこでしか見出す事の出来ない。 もしくはアンダーグラウンドを知らない、気付けていない人達に問う活動の一環であり、 職業でしか世界でしか会話の出来ない人達への最後の抵抗でもあります。 こんなのどうせやったって、 誰にも認められないし、生活の糧にもなりゃあしない、 けど、 かつての同人誌「ゲームフリーク」が生んだゼビウスのような奇跡が、 同じように起こせるのだとボクは信じて疑わないのです。 あ、話が脱線しすぎましたね。 花形装飾活字の魅力、次回からお楽しみに。
2008.06.24 Tuesday | 2008年6月 | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字について ツー

だいたいからして、 最初は軽く真似してみて、 テイストを軽く掴んでみようてなノリだったんですよね。 それがこんなに深く作りこむ事になるなんて…。 そもそも、 データを配布するというのは最初の段階で決めてたんですが、 ここまで時間と手間と労力のかかるもんだったとは、 という感じなんですよね。 あくまで自分の納得のいくクオリティーに達するという意味で。 せやから、 最初はフリーで、 誰でも使える簡単なものにしようと思ってたんです。 なんでか3500文字。 これには訳があります。 マジなとこ、 これは万人の使えるもんじゃないと感じたからです。 技術と知が無い人が使う事で、 エンスヘデの装飾活字の価値は下げたくないと思いました。 かといって、 版権は、 もちろんボクにある訳ではないので, お金をとる訳にもいかない。 実は言うと10000円という壁を用意していたのですが、 それもどうかなあと思ったのです。 3500文字。 これについては、 データの調整が終わり次第に、 ボクも例として書こうと思いますが、 これって、 凄いハードルやと思うのです。 原稿用紙で言うところの1枚400文字、 それが9枚という事ですから。 だからこそと思いました。 ボクはこれから書こうとしている文章はきっと5000文字を越える事になると思います。 長けりゃいいというもんでもないですが、 だから内容が浅いという訳でもないでしょう。 3500文字も内容の浅い事を書くのは至難の業です。 ああ、まあ、 それはいいです。 単にそういうのがたくさん投稿されてきて、 それらを公開していく事で、 1つの印刷とデザインと装飾活字のプールを作ったら、 それはもう面白くなるんじゃないかなあ。 仕事で語られる事は多いのに、 それそのもので語られる事がない。 これはどうなんでしょうか、 大学の論文で終わらしておいていいのでしょうか。 社会で頑張ってる人だけが、 それをやっているという現実への挑戦であり、 草の根で実際に活動して作っている人が、 それを語って共有したほうが面白い。 内容は、 とくに反論ではなく、 情報のみの空間。 可能性に溢れている文章のプールに飛び込むこと。 手を明かすとそういう事を期待しています。 もしくは、 ボクのような、 数少ない同じ志を持った人がいるかもしれない。 そういう甘い期待もあります。 いないだろうけど。 けど、 今回のこのデータには、 それだけの引率力があると核心しています。 正式のアナウンスはまだ先になりますが、 これだけは大きな声で言う事が出来る。 「グラフィックデザインにキチンと向き合っている人が、このデータを欲しくない訳がない。」 もう8ヶ月の間見詰め合ってきましたから、 そんなに感動はありませんが、 これを自由に出来た時の感動は何にも変えがたい不思議なものがあります。 あ、 実は3500文字以外にも、 条件は増えます。 それは、ふっふっふっ。 ボクを知ってる人なら容易に想像はつくでしょう。
2008.06.24 Tuesday | 2008年6月 | 00:29 | comments(0) | trackbacks(0) |



花形装飾活字について

アイデアの325号に感謝します。 これがなかったらこのプロジェクトはこんなにも具体的に進む事は無かったでしょう。 エンスヘデ活字鋳造所による装飾活字。 これにボクは魂を奪われたのはほんの4年前。 この完成された活字は他の装飾活字の追随を許さず、 アラベスクの流れを取組ながらも、 ここまでも現代的な美を追求した造形は賞賛に値します。 これは副産物です。 この作業はあるプロジェクトの一環として、 その研究が目的の作業としておこないました。 これは不用の産物であるともいえます。 が、 このままにしておくにはもったいない。 時間にして8ヶ月もの時間を費やしました。 ちなみに今日、 一通りの作業が完了した記念すべき日です。 これを多くの人に使ってもらい役に立てて欲しいと感じました。 それは、 エンスヘデ活字鋳造所のアイデア325号の別冊にまとめられているものを、 イラストレーターにてアウトライン化したものです。 心してください8ヶ月という時間を費やしました。 正直、もうやんねーというのが感想です。 けれどこれから学べる事は多いです。 これから研究を開始する人、 オイラなんかよりももっと可能性のある人、 そういう人がこれを使って、 無駄な労力を省くべきです。 ただし、 これは正式のアナウンスではありません。 先だって書いていますが、 研究目的ですから、 作業の前半と後半ではコンセプトの変化が生じています。 そのせいで線の太さやオブジェクトの形などの大幅な違いにより、 1つ1つを組み合わせた場合に若干の違和感が発生します。 しかしこれは微量であり、 等倍での使用では問題がないと考えます。 が、 やはり調整が必要です。 その調整には1ヶ月程度かかるでしょう。 この貴重なデータを、 一定の条件の元で無償配布出来ればと考えています。 その条件は、 「花形装飾活字」もしくは「印刷とデザイン」についての文章を「3500文字」以上で、 「公開」を認定していただいた上で提出、 それを引き換えにというのが条件です。 正式のアナウンスは7月の下旬から8月の上旬を予定しております。 興味あるかたは今からでも準備いただければと思います。 面白い文章楽しみにしています。 では。
2008.06.24 Tuesday | 2008年6月 | 00:28 | comments(0) | trackbacks(0) |



クリエイティブの集う場所 その3

茫然自失に作るという事は本当に作るという事だ。 作る人は作るとは違う別の動作も、 無意識に変換して作るという意識の中に組み込める人の事を言うのだと思う。 つまり場所もまた同じであって、 作っていなくても作っているという事がその場所を包む空間を人は異質として捉え、 その空間が作るという意識の元にあると認識する。 それを認識出来るという事は、 作っていないという事でもあるように思える。 分けて考えると凄くわかりやすいが、 それは作っていない時と作っている時の意識の中間でいる時の無意識に近い。 むしろ作っていないという領域に根を下ろす事の方が難しい。 これは、現代におけるその中間にいる人の為のアートが、 大勢の認識出来る範囲でしかその実態を表現出来ないという難しさを、 インスタレーションなんていう展示目的の作品が先進である証拠として示している。 ああ、いきなり崩れるけれど、 これまで、いろんな場所で、人に伝えてきたけれど、 文章にしたり一緒に活動したり、 このmixiにしても文章でのコミュニケーションですが、 過去にそれに気付いて崩れ去った人が一人居ましたが、 それはさておき、 誰も居ねーんだよねえ。 きっと居ると思うんですよね。 ボクが見つけれてないだけで、出会ってないだけで。 最後の抵抗としては、 「作る」=「見せる」になっちゃってる事がねえ。 そうじゃないと格下に見られるのも変だと思うんだよねえ。 デザインの一つをとっても、 なんか職能ばかりを語れるけれど、 それそのものを語れる人って、実際に活動してる人って、 ほんの一握りだよねえ。 だいたいからして知を武器にしてるやつらがホンマにムカつくんですよね。 だから、なんやねんとツッコムちゅうねんつー話で。 「見せる」じゃなくて「見られる」じゃアカンのかなあ。 見る方も「見せられる」まで気付かんのもどうなんでしょうねえ。 いやね、今、現在がそういう流れじゃないのはわかるんですが。 どうなんでしょうねえ。 そういう意図を明確にする為にも、 これをやる必要をヒシヒシと感じてます。
2008.06.03 Tuesday | 2008年6月 | 08:08 | comments(0) | trackbacks(0) |