お金持ってる人達へ

あんたらこそが、
ちゃんと使い道をテイタラクにしなければ、
問題ない訳です。
これは幅広く言えるっちゅうか。
気付いてる人はいますが、
圧倒的に少ないのだと思います。
文化活動に手を差し伸べるのは、
あんたらの役目でしょう。
文化を高め合う事が、
何よりも大切な価値を育む訳でしょう。
それが今は圧倒的に無い。
江戸時代に出来てた事が今に及んで出来ていない。
現代において価値がある事なんぞ無価値に等しい。
お金を持ってる人が無知識すぎて泣けてくるわい。
ああ、
ただ、圧倒的にその数が多いっちゅう話しで。
ちゃんと気付いてる人だっているはず。
それを願う。
2006.07.11 Tuesday | 2006年7月前半 | 16:39 | comments(0) | trackbacks(0) |



描けない

ああけど、
少し表現が違うのかもしれない。
描くパワー溢れている。
が描けない。
どうすればいいんだろう。
自分の描くものが人に分かって貰えない孤独と、
何か無意味な空虚みたいなものの狭間で、
結局、自分も人に認められたいとか(前にも書いたな)、
そういうところを結局巡りに巡って同じ所にやって来る。
現代アートは閲覧者が主役であるという風潮に溢れている。
本当にそうか。
じゃあ表現する側の、
この戦いは無に帰すと言う事か。
2006.07.07 Friday | 2006年7月前半 | 16:16 | comments(0) | trackbacks(0) |



いわゆる

日本画そのものが文様であって、
光琳とか宗達のやった事ってのは何か革命的というよりかは、
自然の流れだったような気がする。
だとすれば、
夢二がアールヌーボーに影響を強く受けたであろう、
パターンデザイン群は「美人画」から脱却のようなものなのかもね。
日本芸術は革命の連続でなくて脱却の連続だ!
じゃあ、西洋画はどうなんだろう。
2006.07.04 Tuesday | 2006年7月前半 | 21:00 | comments(0) | trackbacks(0) |



少なくとも

後、2年は今の状態を維持出来ます。
長くて3年か。
必要最低限しかお金がないので欲しいものとかは、
手に入れるとかは難しいけれど、
だからといって、
本当に欲しいものはお金じゃ手に入らない訳です。
意外にお金がない方が手に入ったりします。
なので25才までがリミットだからといって、
さらさら止める気なんてない訳です。

ボクは引き止めるとかはしません。
ボクからもそっちへ出向く気もさらさらありません。
線路に例えるなら、
その人とたまたま近くを平行して走っていただけです。
それが心地よいものだったとしても、
それを維持しようなんて気はさらさらありません。
いずれ時がくればどちらかが、
または両方がカーブにさしかかり離れていきます。
その際にぶつかってしまう事だけは避けたいです。
時々駅があって乗り換えたりします。
同じ電車に2人いたりします。
ずっと停留している電車だって、
リニアだって車輪だって人力だって、
いろいろある訳です。
みんながみんな同じスピードで走れないのです。
遅い電車は早い電車に合わせる事が出来ません。
けどね、
早い電車は遅い電車に合わせてあげれる訳です。
もしかしたら気紛れで早く走れるのに遅く走ってみたり、
早く走れる事に気付かないまま遅く走っていたり、
その逆もありかな。

とまあ、
一週間、
どうせ仕事もないので、ほとんど何もせずに、
ひたすらに自分の『位置』について考えました。
そして1つ気付いた事があります。
風鈴は風に吹かれて音がなりますが、
不思議な事に扇風機や人の息やら手やらで鳴らしたとて心地良い音を奏でません。
人が人に何かをしてあげたとて、
それは決して心地の良いものではないのですね。
ましてや、それを了承したからといって、
何かどこかで消化出来ない波がたってしまうのだと思います。
しかし、
今の世は、その連続で成り立っているようです。
だから消化出来ない波がいつまでも残っている。
人は、
人の都合でどうにか出来るものではない。
そこが難しいのですが、
重要なのは1人の力を侮ってはいけないという事です。
人は集合体であろうとします。
『共依存』なんて言葉も出る程です。
意図的であればある程に依存を求めます。
6000ピースのパズルをボクは枠から仕上げるクセがあります。
真ん中のおいしい部分を後にとっとくタイプです。
線路に枠はあるでしょうか。
風が吹いたからといって道筋を急に変えれるでしょうか。
せめてスピードが遅ければ、
その風に気付く事が出来てからでも曲がる事は可能でしょうし、
心地よいカーブも描く事も出来ましょう。
目標地点を決める程にバカげた事はないと思います。
それは、風にも気付かず、
気付いたとて、それを無視し続ける事なのだと思います。
例え、
その通りになったとしても、
その先がないのと道理。
ああ、
それは間違わないようにするのとは違うかな。
どうせなら風鈴を心地良くならせる風の発生源が、
自分であれればと思うかな。
もっと書くと、
たんぽぽかな。
とっくに才能は開花してるんよね。
それを誰にも気付かれてないだけで。
むしろメインは綿毛みたいな。
なおかつ、
人に吹いてもらうよりかは、
自分で吹きたい訳ですな。
その綿毛が良いところに着地したらしめたもんです。
で、
現在の『位置』はどこか、
「綿毛の準備中」。
これが一番に時間がかかりそうだす。
2006.07.03 Monday | 2006年7月前半 | 12:32 | comments(0) | trackbacks(0) |