これから、
新たな花形装飾活字を提示するためのシーンを作っていこうと思っています。
もちろん、
ボクの他にも同じように、
「花形装飾活字」ではないにしろ印刷というシーンに対して、
原点回帰、もしくは、
現在における印刷という価値の否定。
そして構築しようとしている方がおられます。
これについては、
今回、
この花形装飾活字を配布する事で知る事が出来ました。
数は少ないですし、
シーンはバラバラなのですが、
確実に現在の印刷に疑問を持っている人がいるという事です。
そしてなによりも印刷を愛しておられます。
アート、デザイン、個人、同人、
アプローチが違うという事であっても、
それがわかっただけでも大きな成果だったように思います。
側面は違っても花形装飾活字の包食袋は担うだけのものがあるという事です。
その在り方に可能性を感じずにはいられません。
そして今回は、
デザインという側面から初の文章を寄稿をしていただきました。
なんとも刺激的な内容です。
そして熱い。
これからグラフィックデザインの事を始めようとしている方、
グラフィックデザインの事を知ったふりをしている方、
とくに30代、40代以降の職能だけひけらかしている方、
そんな人達に是非読んで欲しい文章です。
では、どうぞ。
profile_________
[野口尚コ(NOGBo2X)]
武蔵野美術大学基礎デザイン学科卒業。DTP・誌面デザイン会社の総務をしながら、個人で特殊印刷を使った作品制作を開始。
2009年1月に会社を離れ、素材・印刷からデザインまでの提案を行う[印刷の余白Lab.]を開始。
最近は小型活版印刷機を導入して色々実験中。
(
http://yohaku.biz/)
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Theme「印刷とデザイン」
『ものづくりとしての印刷再考』
<版の喪失>
序文を兼ねて、ありきたりではあるけれど近年の印刷の話から。
この十数年ほどで、印刷とデザインの間に起こったことは「版」の喪失だった。
もちろん、今でも版は存在しているのだけれど、多くの若いデザイナーの意識の中からそれは薄らいでしまってしまったように思う。
DTPによって『印刷されるべきイメージ』を手に入れてしまったために。
誌面のデザインについて言えば、
DTP以前の印刷は活版印刷や写真植字という方法が用いられてきた。
これらはデザイナーのイメージを版下・製版の専門家と協力して版に落とし込まないことには、
どんな刷り上がりになるか分からない方法だったため、デザイナーはイメージ通りの版ができているかを常に確認する必要があった。
現在では、デザイナーがデスクトップで作成したデータそのままに版を作成し、印刷ができるようになっている。
それはデザインから製版までの作業が、場合によっては一人で完結してしまうことにもなる。
もちろん、私自身が版を意識せずとも印刷物のデザインが成り立ってしまう世代の人間だし、
懐古的に批判するつもりもない。
むしろDTPのおかげで、
版を組む職能がなくともクオリティの高い印刷ができるようになったのだから十分に凄いことだ。
データさえきちんとつくれれば、誰でも入稿できる。印刷という産業から見れば(技術革新の痛みは伴っても)市場が大きく広がったと言える。
はずなのだ、本当は。
いきおい市場の話になってしまったけれど、少し話を戻そう。
まず、印刷物のデザインが刷りものという物質から、視覚デザインに変化してきたことを確認したうえで、
「物質としての刷りもの」について考えてみたい。その紙に「何が刷られているか」ではなく、その目の前のものが一体何なのか。
<物質としての刷りもの>
私がモノとしての印刷をはっきりと意識するようになったのは、特殊印刷に関わるようになってからだ。
それまでも、DTP・誌面デザイン会社の運営部門にいたのもあり印刷は身近なものだったけれど、
刷り上がりや色の見た目の確認はしてもモノとして意識することは少なかった。
ひょんなことから、
会社の新しいウリを開拓しようという名目で(実際は、ものづくりとかけ離れた現場を脱したかったのだが)特殊印刷に強い印刷会社を探し始め、
特殊印刷の知識を収集しはじめた。いま様々なデザイン誌でも取り上げられているように、
特殊印刷の面白さはモノとしての質感にあるし、私自身もその面白さをどうやって生かすかを日々考えるようになった。
なかでも強く印象に残っているのが、
懇意にしてくださっている印刷所を取材させていただいた折、
箔押しの職人が「箔押しで大事なのは『熱・厚・時間』」だと仰ったことだ。
デスクトップでいかに頭をひねって完成させた気でいても、目の前の印刷物は確かに、
ディスプレイの光ではなく3馬力のマシンで 130℃、0コンマ5秒かけることで生み出されている。
そんな当然のことが衝撃でもあった。
通常のオフセットだってもちろん考え方は同じで、化学反応と圧と時間でできている。
その元には金属や樹脂などの版があり、インキや顔料が紙に定着されるプロセスを経る。
誌面のデザインが Editorial と呼ばれ、視覚表現が Graphic と呼ばれ「表面をデザインする」ことに名前がつき、
それがデスクトップで行えるようになった。
しかしながら印刷物そのものは平面と Industrial の狭間にある。その視覚と物質の境目を繋いでいた「版」の在り方も変化してしまった。
2Dのイメージがモノになるとき。そのギャップを埋めるのは、デザイナーの想像力にかかっている。
<コンテンツの物質化と贈与>
次に、モノとしての印刷物と、「印刷されるもの」との関わりを考えてみる。
コンテンツを、モノにする、それも複製を前提としたモノにすること。
DMを印刷する。木版を彫って瓦版を刷る。聖書が活字で印刷され本になる。
それらは、バラまくことも、預けることも、保管することもできる。何にせよコンテンツをモノして分け与えることができる。
モノを介さないコンテンツの伝達として、
口伝であったりwebであったり方法は色々あるけれども、
それらは「情報」のため伝わった途端に姿を消してしまう。
逆に手書きの原稿や絵画など「オリジナル」しか存在しないモノの場合は、
与ることはできても共有できない。印刷の場合、コンテンツを贈与しながら共有することになる。
さらに同じ印刷物でありながら、それぞれが違う扱われ方をし、違う歴史をその身に刻んでいく。
ごく簡単なところに帰ってこれば、印刷物の制作は基本的に「渡すこと」を前提にしている。
コンテンツという形なきものを、紙というフレームに収め、渡すこと。
その価値は、コンテンツだけでなく相応の「手間と美しさ」があることもポイントになる。
web上で見る小説と、文庫本の小説と、活字を組んで印刷された小説では、コンテンツは同じでも受取る側にとっての価値が違ってくる。
身近なところなら名刺や季節の挨拶など、何気なくやり取りされているものを Gift にすることもできる。
デザインは、それぞれのコンテンツに合わせたメディアを考え、それぞれのメディアに合わせた価値をつくりだすものなのだと思う。
そのため印刷では、表面のみでなくモノとして捉える視点がやはり大事なのだ。
にもかかわらず印刷のデザインが視覚で語られることが多いのは、
DTPの影響だけでなく、
広告としてポスターや中吊りなど「見せるだけの印刷物」が増えたのも関係しているように思う(これらは必ずしも印刷である必要はない。
液晶だって良いのだ)。見せる効果のノウハウが広く学ばれるようになり、視覚デザイン=印刷のデザインのようになってきてしまった。
それはひとつの表現で、印刷の使い方ではないことに注意したい。印刷は技術であり、技術は使い方次第で多様な表現を可能にするものだから。
話が仰々しくなってしまったけれど、ここまでの断片を一度まとめてみる。
・印刷のデザインは、DTPによって専門職でなくとも扱えるものになった。
・しかしデータ上のデザインと印刷工程にはギャップが生じている。
・印刷はあくまでものづくりの技術である。
・印刷物はコンテンツにカタチを与え、渡せるメディアである。
で、そこから私が伝えたいことは何かというと
「もっと技術を使ったものづくりの側から、印刷に入ってみてもいいんじゃないか」
ってことなのだ。(かなり飛躍……)
グラフィックがどうとか文字組がどうとか確かに大事なんだけど、それは印刷物を追求していけば必然的にぶつかる問題で、
必要ならできる人間がナビゲートしてあげれば良い。
まず誰もがものづくりを楽しむところから印刷の世界に入ってみたっていいんじゃないかと思う。
それに、改めてモノとして印刷物を見たとき、そこから新しいデザインが生まれるかもしれない。
そして、印刷の面白さという意味では、特殊印刷は多様で奥が深く、原理はむしろシンプルなものが多い。
やってみないとわからないし、できるならやってみたいと思っている人は多いはず。
その機会をいかにデザインしたらいいだろうか。
<個人という市場>
始めに述べたように、技術的には個人でも簡単に印刷の入稿ができるようになった。
私は(特に特殊印刷の市場として)デザイナーのプライベートワークや、
それこそデザインに関わりのない一般の方が印刷物をつくっていくことに可能性を感じている。
けれど、印刷物を個人で依頼するにはまだまだハードルがある。
・事例が少ないこと。
・発注のルートが分かりにくいこと。
・印刷所とのコミュニケーションが難しいこと。
・デザインと印刷がセットで依頼しづらいこと。
などなど……
まず、実際に見て触れたものでないと「やってみよう」とはならないのが当然で、
「印刷をこんなふうに使っています」と送り届ける人が必要だと思っている。
有名なデザイナーが扱っているからといって、自分もやろうとはそうそう思わないはず。
印刷の面白さを発信する個人が増えないと、浸透していくのは難しい。
そして、自分でも印刷をしてみたいと思ったとして、そこには大きなハードルがある。
どこに、どうやって頼んだら良いか分からないということだ。
情報を集めるのに、まずwebで検索することが多いと思う。
しかし印刷はもともとアナログ仕事な業界でもあるし、今でも良い加工をなさるのはお年をめされた熟練の職人たちだ。
情報公開を積極的にしているところはごく限られている。
しかも、印刷所がいかに素晴らしい仕事をしても、それはデザイナーや出版社の仕事であり印刷所の名前が知られることは少ない。
また、印刷業界というのは、出版社の仕事を引き受けるような大手の印刷所を除き、
ほとんどがそれぞれの得意分野を持ちながら分業している(大手だって難しい加工は、
得意な中小の印刷所に任せることも多い)。頼んだ加工が得意なところと、
そうでないところでは仕上がりに大きく差が出るし、下請けに出てしまってコストや納期が大きくかかることもある。
自分のやってみたい加工を扱っている印刷所を調べるのも一苦労なのに、何社も比較検討するような手間はかけていられないだろう。
さらに、印刷所の側でも業界外との仕事には慣れてないこともあるため、
上手くコミュニケーションをとるのが難しい場合もある。
「予算がこのくらいで、ちょっと面白いことをしてみたいんだけど、
どんなことができるの?」という相談を受けてくれるような、開かれた窓口が少ないのが実状だ。
それとも関わってくる問題で、デザインから頼みたいという場合に、
印刷に詳しいデザイナーはそれほど多くない。先にも触れたように、
グラフィックなどを手掛けるデサイナーと印刷は分業が進んでしまい、
紙や印刷方法から提案することのできる(その機会が与えられる)デザイナーは限られている。
印刷所の中にデザイン部署がある場合もあるが、やはりこだわったデザインがしたいとなると難しい。
……と、夢が遠のくような話をしてしまったけれど、
これらは私が「紙や印刷方法から相談を受け、印刷所の手配も含めてデザイン提案をする」窓口になろうと決意した理由なのである。
私自身、まだまだ奥の深い印刷の入口に立ったところだけれども「印刷所に相談が投げられる人」が間に入って、
上のような問題を緩和していくことで印刷業界の入口を広げていけるのではと思っている。
そして、長くなってきたので最後に私の夢をひとつ語らせてもらうと「印刷をくらしのなかのレクリエーションのひとつにしたい」のだ。
記念日に美味しいディナーを食べに行く、年に一度は海外旅行へ行くようなノリで、
日々のちょっとしたイベントのひとつに「印刷」という選択肢を取り入れてみたい。
そのための方法はまだまだこれから考えなければいけないけど、
この文章を最後まで読んでくれるような人が居たとすれば、希望はあるんじゃないだろうか。
これから自分が活動していく中で、様々な「印刷の在り方のデザイン」を考えている人が見つかることを願っている。
(2008.10.26 野口尚コ)