2012年fengfeeldesign年賀状


design fengfeeldesign
processor from cosmotech (http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/)

辰の鱗をデザインした年賀状です。紙はロベール。加工方法は箔押しで行いました。全部で4種類あります。デザインは同じで箔の種類を変えております。それぞれ、「銀消し24号+金ツヤ3号」「銀消し24号+白箔A−2」「グリーンメタリック+つばめ返し」「グリーンメタリック+パール箔押し」です。同じデザインであっても、箔の種類や組み合わせの変化で、ここまでイメージが変わる!というのを実感する事が出来ました。実は今回、コスモテックさんと同じ版( http://bit.ly/tvhHOH )なんですが、紙や箔が違うだけで、凄く変わる!んですよね。だから版が同じでも、違うデザインと言っていいくらい、雰囲気があると思います。両方とも手にした方はそこらへんも見ていただけると幸いです!

今回、この「2012年fengfeeldesign年賀状」を4種類全部欲しい!という危篤な方に無料にて差し上げたいと思います。1月いっぱいまでお申し込みの受付をしております。

■入手方法
give_me_work@fengfeeldesign.org>まで、件名を「2012年fengfeeldesign年賀状希望」にしていただき、本文には「住所」と「お名前」を記入しお送りください。




2012.01.02 Monday | 2012年1月 | 17:04 | comments(0) | trackbacks(0) |



箔押し六重奏、パターン装飾@秋バージョンのポストカード配布のお知らせ



この度、箔押しにむけての渾身の作、「箔押し六重奏、パターン装飾@秋バージョンのポストカード」を無料で配布いたします。六版で構成しております。紙は「マットカラーHG」です。前回配布した五重奏との違いは5版から6版になった違いも、もちろんあるのですが、何よりも五重奏が抜きの版に対して、六重奏は重ねの版であるというところにあります。絵が重なっている下にもキチンと絵がある状態で箔を重ねる事で、メタリック箔と顔料箔の透過率の特徴を活かす事が出来ました。光の角度を変える事で下の絵が透けて見えるので、光で見せる箔の在り方にいっそうの魅力を引き立てる事も出来ました。これはインクでは絶対に出来ない、箔だからこそ出来る美しい表現だと思います。是非、手に取って光に当たる箔の魅力を堪能してみてください。

■入手方法
give_me_work@fengfeeldesign.org>まで、件名を「箔押し六重奏、パターン装飾@秋バージョンのポストカード希望」にしていただき、本文には「住所」と「お名前」を記入しお送りください。

※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51715688.html




2011.12.28 Wednesday | 2011年12月 | 16:49 | comments(0) | trackbacks(0) |



2011年を振り返って、2012年に向けて。

本当に何もする事が無いので、そうか、そうだ、いつも毎年、この時期にこういう事書いてたな、と思い出したので書きたいと思いまする。なんじゃろね。なんかあったかな今年。ああ、あったあったwアルベルト事件あれは大変だったなあ。ったく、ひでー出来事だったなあ。あのスペイン人は一体なんだったんだw正直、地震なんてどうでもいい。当事者じゃないし。神戸の時もそうだったけど、人がいっぱい死んだという事以外は、なんとも実感が無いなあという感じ。むしろ、その時にリンクして泊まり来てたスペイン人に翻弄させられて、西田辺がひどく荒れてしまったって事くらいかな…。なので、西田辺ではセックス禁止!ダメ、絶対。という事を心から誓うのであった。ていうか、女子禁制にしていいくらいかもしれないw誰だ手が早いのは!という話で結局持ちきりになりつつな、2011年でした。ホント西田辺に訪れる女の人は気をつけてください…。下心満載の人達ばっかなんで。地震については冷たいけれど、ボクは全然分からんのです。きっとそれは日本人が死に直面しないようにしないように生きているからだと思います。だから、知らない人が死んだ時の実感が無い感じ。精神の死の方が、その精神を共有している人の死だと、実感、という事になるんだろうな。ただ、ボクの知っている人に死んだ人がおらず、対岸の火事であって、それが日本で起こってて、皆頑張ろうの、皆の中の一員にはなれない感じなんだよね。どっちかというと、ボクにとっちゃ、失恋の方が身にこたえたし、今回の4連作を作るきっかけにもなった。今でもぶっ殺してやりたい気持ちだけど、それは多分、当分続くだろうけど、そういう意味も含めて、地震も同じなんだと思います。どうしようもない事だったし、恨みようの無い話なんだと思います。だから、遠い人間が地震で心を痛めてるのが全員ってのも変な話なのかなとか、どうとか、そういう事を堂々巡りに考え続けた1年だったのかなあ。ここ、西田辺に関して言えば、去年と違って、今年は、個人個人が動く事に集中していたような気がします。なんか、リンクする物事が逆にウマくいかない感はあったと思います。要の家島も期待通りとまではいかなかった。ボク個人も動きを新たなに出来るきっかけを蓄える事の出来た年でもあったし、来年がホント楽しみに決意を新たなにする年であった。それに、前々から仕組んでいた事が機能し始めていて、なんかこう、節目、脱皮、リスタートをする為の猶予期間のような捉え方だったと思います。まず!ちょっとばかし収入が増えたのは助かった!おかげでちょっと太ったけどw何があったこれがあったと1つずつ解説はしないけれど、実ってきた果実が収穫できた年。んで新しい芽を種子を巡らせるタイミング、そんな感じ。もし、今年新たなにあった代表的な出来事のキーワードを挙げるとすれば、「アルベルト事件」に始まり「家島」「つかまるくん襲来」「先生」「みわくんの反抗期」「飯富さん」なんと言っても「コスモテックの青木さん」!ですかね。なんか毎年、毎年、なんかあんのかなあって言うてますが、やっぱなんかある。来年もなんかあるのかなあw楽しみです。さて、来年やる事、決まってる事を羅列して書いておきたいと思います。まず新しい花形装飾活字を作る事。これはインクと紙をを意識しない版における造形に出来たらと考えています。んで、書体の設計。これは、自分がスタンダートに使うものです。フリーでダウンロードして使って貰おうと思ってます。ミワくんプロジェクト。これは乞うご期待。多分、来年前半はこれに最強に集中するかと。続印刷バラまき大作戦。まだまだやります。来年は、早い段階で印刷したら面白そうだなあと感じる作家さんに声をかけて印刷物を作りたいと考えております。冬のパターン装飾を実現します。で、そのパターン装飾全体のプロモートツールを作り新しい可能性に言及したいと思ってます。活版印刷機を買う!多分これが一番大きな出来事になりそう。そしてそれを使って、花形装飾活字の本を作ります。自分で一冊ずつ。それでそれで、色んな本を作りたいです。…and more!! 全部やってやる!!!
2011.12.20 Tuesday | 2011年12月 | 17:05 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その16

ここで改めて、印刷は技術だと言っておきたい。それを前提としているのが複製であって、複製そのものが技術であるというのは、いささかズレた話だと思っています。もし、純粋に印刷という技術を考えるとするならば、インクを使った紙加工の方法論の内の1つ、とすべきだと考えます。複製されるのは目的であって、その目的に印刷の技術はあって、そして実現へと向っていく事が出来ます。花形装飾活字でやった事の成功をまとめて書くとすれば、技術だけを分断し、目的を排除をした。です。そして次です。印刷には複数の技術がある事に気付きます。オフセットや、活版、UV、インクは使いませんが箔押しなどの特殊印刷も。これらは、目的としての「複製」は同じでありながら、その「技術」の違いが発生しているのをお分かりいただけるかと思います。基本、紙に刷っとる訳ですが、そのやり方や、紙に与えるダメージ含めて、大きな差が生じています。材料も色々変わってきます。最近では、データで入稿出来ちゃう訳です。あの活版でさえも、営業ベースで言えば、オートメーション化されていて、樹脂版でさえもイラレで作れる。銅版だって。それが刷られていく訳です。オフセットなんて、そのやり玉だしなあ。これは、ホントに凄い事です。委ねている対象がデータっていうwこれは、これに関してはボクはもう、原始的な方法に戻るなー!って思います。ドンドン、便利に最新になれー!って、思います。別に古いのが好きって訳じゃないし、あれ、あの、オフセットのスンゲー高解像度で写真刷れるやつ、あれとか技術の結晶だしな。写真でさえもデジタルデータになってる。フィルムもスキャンしてどうにかしてる感じ。介すその工夫になってんだもんなあ。でもね、でも、これは花形装飾活字でも大いに学んだ事なんだけど、技術の根本を忘れちゃいかんって事です。何が印刷だったかを忘れちゃマズい。どのように美しかったのかという知恵みたいな時間の積み重なりを無視、というか、知らずにデザインしちゃって、スカスカなのあるでしょ?ていうか、なんで、こんなにスカスカなデザインなの?って事あるでしょ?それは根本の知恵が無いからだと思うのですよ。ただ、頭でっかちで作ってしまった印刷物の堅物具合というのは、経験だけで作ってしまったものと同等の悲しさがある訳で。ね、ね、分かる?こうも言い換えれる。オフセットでも活版は可能だと言う事です。それはデータ化の恩恵。ボクはね、其処にこそ、グラフィックデザインがあると思っているのです。グラフィックデザインはテクノロジーによって恩恵を受ける技術。他のデザインと名の付くものとは、どうやら旗色が違う。自発的なものが見出せないのがグラフィックデザイン。全てが知恵の恩恵なんだよね。その組み合わせとミックス。それを実現してるのが印刷って訳。分かる?分かる??グラフィックデザインは何を知らなければならないのか。どういうものをグラフィックデザインと見据えて、行動すべきなのか。グラフィックデザインは知恵の遊びなんだよ。あ、それは印刷という限定でね。何故、グラフィックデザインなのか。何故、グラフィックデザインというものが誕生したのか。それは歴史という積み重ねと、その知恵があったから。これが、単に印刷と、それを計画する事になってしまったら、それが無視されちゃうのです。もう、たくさんある。だから、グラフィックデザイン。そのたくさんある事をキチンと学んで、知恵として吸着して、んで、よりよい印刷を実現する。新しいテクノロジーの恩恵を受け乍ら。その遊びがウマイやつがグラフィックデザインがウマイ!って事になんないと、前回書いた、グラフィックデザイナーが作家的に図案考えたり絵を描いたりし始めちゃうっていう。んで、謎に頑固w実は、絵を描けない知恵者こそが印刷には絶対に必要だし。話が出来るってのが大きいと思うのです。でもでも、絵は頑固な方が面白い。んなの、1人じゃ無理だもん。それに気付かせてくれたのが、春夏秋冬の4連作図案にあたるのです。続く。
2011.12.18 Sunday | 2011年12月 | 05:58 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その15

絵を描く、という動作1つにしても、それが何を支持体とし、何を画材とするのか、という事や、その技術や文化の底辺によって、その全てに影響を与えます。ポイントとしては、これを「印刷」するのか、という点です。これら、絵が描かれた最高傑作を、印刷という動作を使って「再現」するというものです。これと、今まで、ここで書いてきた事とは明らかに違っているという事が分かると思います。つまり、上記の事象というのは「花形装飾活字」とは圧倒的違っているという点です。同じ印刷であるのに、何がそないに違うものにしているというのでしょうか。例えば、描かれた絵を、印刷向きにする場合というのがありますが、そもそも、印刷向きにするという動作とは一体なんなのか、「それは」グラフィックデザインなのでしょうか。もしくは、その絵を描くという動作はグラフィックデザインとでも言うのでしょうか。よーするに、今、現在、グラフィックデザインという名の元に印刷向けに絵を描いている場合がありますが、「それが」グラフィックデザインなのかという事を問いておるのです。図案を拵えたり、それを作風という名の元で作っちゃう動作がグラフィックデザインなのかよと聞いておるのです。もっともっと言えば、お客さんに合わせて作るという行為を含めてです。それがグラフィックデザインなんでしょうか。そもそもお客さんてのはなんだ。例えば、そういうケースがあったという事でしかない。この回の冒頭でも書いた例にしても、それはケースの問題であって、それがグラフィックデザインとしての動作というのは曖昧すぎやしないか。そもそも、グラフィックデザインには元なんて無いのです。もし、元があるのだとすれば、印刷を社会や経済と結びつける為の手段1つとも言えるし、絵画やそれに伴う関わる全てを社会や経済に結びつける手段の1つとも言える、その言えるところにあるのであって、他のプロダクトデザインや、建築デザインのように、前提としたプロセスからは、少し外れたところにグラフィックデザインが存在しているように思えます。その場合に、これがグラフィックデザインだ!という事を大きな口で言えるかどうか、という問題について考えなくてはいかんと思うのですね。それで、「水草」という動作があったのです。何がグラフィックデザインなのか、どういう状況を言えばグラフィックデザインと印刷という状況を、真っ新状態で、真っ向から見る事が出来るのかという、疑問と、それらを明らかにする為のツールでもあったのですが、結局、繰り返すうちに、無機質な形になってしまった。文化や美意識をそれに纏わる全てを無くせば無くす程に、それが無形のものへと変化していきました。グラフィックデザインが印刷の為にあるのだとすれば、なんとも滑稽な話で、それはグラフィックデザイナーという職業の儚さを結論づける結果となりました。ここで問題定義したいのは、グラフィックデザイナーが絵を描いてしまっている事です。何より先人達がそうしてしまったという所にあるのと、前提として、絵を描ける人達がグラフィックデザインを覚える事で可能性が広がるのに、そうじゃない人達が、何かの幻想に操られて、ドンドンとグラフィックデザイナーになり、印刷という領域を汚してしまったという現実が垣間見えるような気がします。絵を描けない人間がグラフィックデザイナーになっていくのだとすれば、それは、印刷される程のものが刷られていかないって事にもなります。印刷は現実しか見れないんす!なのにグラフィックデザインを司る人達がそれでどうするんですか!同時に絵が描ける人達がキチンとした印刷に関われてないという現実も見る事になります。彼らこそが印刷された時の美しさを謳歌出来る人達なのに、まったくの異分野として扱われて、まったく交流が取れとらんではないか!と悶々しています。だからこそ、今までグラフィックデザイナーとは名乗って来なかったけれど、30歳になって、初めて、オレはグラフィックデザイナーと名乗って、ちゃんとそういうのを、秩序を作っていこうと決心したのです。続く。
2011.12.11 Sunday | 2011年12月 | 16:48 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その14

『新•花形装飾活字「水草」』ほどのものは、もう、作れないと思います。今、思えば、何を其処まで全てを投げ出して形にしようとしていたのか、なかなかに理解に苦しむところではありまするが、何よりも、圧倒的に時間を掛けた事です。下絵に半年、原画に1年。アウトライン化に1年。まるでそれが日常のように。完成から既に2年という時間が過ぎましたが、これはボクにとってのグラフィックデザインの最高峰です。これこそがグラフィックデザインであり、装飾性、すなわち絵という概念を際限なくまで排除した図案であり、印刷の版なのです。また、こうも言えます。ここにこそ、グラフィックデザインがあるのです。そうです。後は印刷屋さんに持っていくだけなのだから。絵を描く必要も、文字を入れる必要もありません。これは、それそのものの根本なのですから。人の意識や意図を無くしたもの、グラフィックデザインと印刷に、その思考を、それだけのものに委ねたもの。または、それ以外のコミュニケーションを目的にしたもの。もし、ここに文字を入れるとすれば、それは異物です。絵を入れようとすれば、それは、ただの物体にしか過ぎない感じ。それくらい、人の見るビジュアル的なイメージの排除は、グラフィックデザインと印刷の到達点には必要不可欠な存在でもありました。イメージの波を消す、という事は、それが、どのような存在にもなる、もしくは有る、と言えます。そのビジュアルには想いがなく、それを見る人間の想いや気持ちをそのまま反映します。それが、この水草なのです。作ったもののメッセージ性などというものからの解き放ちや、描く時の意図をしないという、自由かつ放免なスタンス、それこそが、印刷に必要なものの1つであると考えています。印刷は技術です。つまり、現実。夢をともにする事が出来ないという、絶対的な境界線があります。もし、印刷に可能性を見出すならば、グラフィックデザインという存在が、印刷というものに夢を見る事があるならば、この水草は打ってつけです。純粋に意図の無い、印刷への夢を実現する事が出来る便利ツールなのです。意識や意図の無いグラフィックデザインは、印刷という前提的な目的のある技術を崩壊させる事が出来ます。つまり、人の意識が印刷という前提をモタラしている訳で、そこにグラフィックデザインとは何かという疑念や疑問は生じるのは少し、おかしいような気がします。そもそも、絵には、意識があるものだと考えています。なんも意識が無いものだとしても、其処には「描く」という意識の大前提がある。それを、グラフィックデザインする事で、印刷が可能になるのではないでしょうか。描いたものを刷る、だと経済や社会とは結びついてこない、んで、デザインが生まれた訳で、純粋に印刷を高めるならば、それが結びつく意識を無くしたところで考えなければならないのだと思います。そして、ボクは、こう解釈しました。デザインがもし、社会や経済との結びつきを促すために考えられた思考なのだとすれば、それが金銭のやり取りに限定しない思考でもありなのではないか、と。何を結び付けるかという点においては、デザインという思考は大いに役に立つ。印刷が今まで考えもしなかったシーンへの進出も、それこそデザインが夢を見る事によって可能になると思ったのです。金銭でのやりとりによる、デザインと印刷というのは、ある一定のシーンでしかない。もちろん、印刷にもお金はかかります。デザイナーも飯食わないといけない。大体は此処で止まっちゃう訳です。どんなに熱く語っても、どうにも一歩踏み込めないというか、誰しも貧乏なるの恐いもの。ただ、その思考くらいは育む事は出来るような気がしています。だからこその、文章でのシェアなんですよね。人に自分のやろうとしている事を知ってもらう。それを見る人がいる。それがもし、本当に素晴らしくてカッコイイものだったら、きっと助けてくれると思うのです。何故か今は、自分の内に秘めてしまって、自分のものとして前へ進もうとしている人が多いような気がします。一連の花形装飾活字の配布による、グラフィックデザインそのものへの技術の体得と版への理解の高まり、そしてそれを、文章によるシェアによって、共有して公開するという行動。是非、ご賛同ください。絶対に、デザインも印刷も可能性がスゲー広がる。あ、しまった…話が別のところへ、印刷と水草、については次回へ続く。
2011.12.08 Thursday | 2011年12月 | 04:37 | comments(0) | trackbacks(0) |



額入りパターン装飾@秋バージョンのポストカード







craft:miwakazuki

パターン装飾@秋バージョンのポストカードの額の制作を完全受注生産で受け付けます。金額は、10,000円(税込み)+梱包•送料代金800円になります。

■入手方法
give_me_work@fengfeeldesign.org>まで、件名を「額入りパターン装飾@秋バージョンのポストカード希望」にしていただき、本文には「住所」と「お名前」を記入しお送りください。通信販売法の表記と金額の振込先を記入したメールを返信いたしますので、指定の金額をお振込ください。振込確認後から15日程度(通常の場合)で商品がお手元に届きます。1つずつ注文に応じて制作いたしますので、キャンセルの受付はいたしませんので、予めご了承ください。

※曲線の形は木の相性を見極めながら、職人さんと相談しながら決めますので商品毎に少しだけ変更いたします。

※完全にはめ込みなので取り出したりは出来ません。

※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。
作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51712388.html
2011.11.22 Tuesday | 2011年11月 | 19:04 | comments(0) | trackbacks(0) |



パターン装飾@秋バージョンのポストカード配布のお知らせ







この度、箔押しにむけての渾身の作、「パターン装飾@秋バージョンのポストカード」を無料で配布いたします。5版の箔で構成しております。紙は「ぐびき」です。fengfeeldesignとしても、グラフィックデザインの集大成という形で制作いたしました。全4連作(春夏秋冬)の内の1作になります。ウィリアムモリスのパターン装飾を模倣し、日本の友禅の雛形をリミックスさせました。西洋式のローカライズをいわゆるまんまの輸入方式ではなく、漢字を平仮名に変えた時のような少しの遊び心を加えつつ、より、日本人に受け入れやすい西洋のパターン装飾を、現在の感覚に合わせて、もう一度受け入れる試みを行いました。

■入手方法
配布は終了いたしました。
ご相談等ありましたら <give_me_work@fengfeeldesign.org>まで。

 ※今回、箔押しをしていただいたコスモテックさんでも紹介していただいております。
    作品の詳しい解説はこちらを見ていただくと一目瞭然です。是非ご覧ください!
http://blog.livedoor.jp/cosmotech_no1/archives/51712388.html
2011.11.22 Tuesday | 2011年11月 | 07:23 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その13

そこで1つの疑問が生じます。花形装飾活字をアウトライン化する事によって、活版印刷から解き放たれ、固有のものとなってしまいます。この時点ではデザインであると言えるのですが、活版印刷の版としての花形装飾活字はデザインではないと言えます。その理由について書いていきたいと思います。近年、デザインは思想であるという理解が広がりつつあります。それは、デザインが過去の産物になっているという事を示唆しているのですが、これこそが今回の書きたい事の核心に触れる項目なのかもしれません。「過去の産物」というイメージを抱く事そのものが、「デザイン」という行為に非常に類似しているのです。花形装飾活字の時点ではデザインされたものではなく、花形装飾活字という認識で花形装飾活字を作るという統合された制作にデザインがあるというものです。花形装飾活字という形作る境界線みたいなものが「拡張」される時は、それはデザインではなく、その境界線を見極める事がデザインであり「過去の産物」を蓄積した結果である言えます。つまり、花形装飾活字がアウトライン化されていようがいまいが、それを使用して配置する行為にデザインは無いという考え方です。その行為はむしろ技術、印刷の領域になるのは今回までに散々書いて参りましたが、では、グラフィックデザインとは、何か。それは、印刷されたものを総評してそう呼んでいるに過ぎない現象、行為の境界を示したものであると考えられます。では、ではですよ、固有としてのグラフィックデザインがそうなら、動詞としてのグラフィックデザインというものがどのような行為を示すのでしょうか。花形装飾活字はグラフィックデザインだったのか、という点についても考えなければなりませんし、もし、それが印刷の領域であるなら、それを合作した美術そのものまでを印刷、という事にしなければならいのです。また、こうも言えます、花形装飾活字はデザインされたもので、印刷は、それを使用したに過ぎない。しかし、不十分です。活字という形態を維持している時点で、印刷という現実を見ている。これです!これが不透明なせいで、多くの方がウマク、デザインというものが認識されないでいると思います。仕事でも客によって摩擦が起こるのはこのせいだと踏んでいるのですが、これをはっきりしないとデザインという技能が定着しないし、ホント、なんでも屋さんって事になってしまう。のは違う話なので置いておいて、不透明なままだと、グラフィックデザインである以上は同時に印刷の事を考えている、という呪縛から解き放たれないままになってしまいます。デザインは夢を見なければならない。どうやら、デザインと印刷の間には1つ(数字的な認識でもない…)、何かあるとも言えるし、無いとも言える、何とも歯がゆいものが存在しているようなのです。これを解き放つ探求として制作したのが、「新・花形装飾活字『水草』」でした。それが何故、新しいのかも含めて書くのは、次回に続く。
2011.11.22 Tuesday | 2011年11月 | 07:20 | comments(0) | trackbacks(0) |



インクを使った紙加工について(すなわち印刷について) その12

まず、考えたのは印刷に関する思考を印刷を介さずに行えるかという事です。個人でやってるしお金がいっぱいある訳じゃない。印刷という結果を残さずに、その思考が実現出来たなら、とにかく凄く前に進むと思いました。とにかくです。当時としてもお金が無かったし、その一旦をどうやって関われば良いのかという点で、プライベートプレス的な発想には至らずに、脳内的な遊びに至った事が、花形装飾活字の制作という経緯にあります。まあ、妄想ですね、こうやって印刷出来たらいいなあっていうwその連続が「花形装飾活字を愛でる」の動力源でもあったのです。そして最初に選んだのが「PRINTERS'FLOWERS from エンスヘデ活字鋳造所」でした。それは前回にも書きましたので割愛しますが、これをアウトライン化し扱う事によって、というより、これをアウトライン化した時点では印刷には至りませんでした。何よりもお金が無かったからです。試したい事は山程ありましたが、別に印刷に対しては、というより、紙に何かが印字されるという現象においては、実験における虚しさのようなものというのは、散々に経験してきたというのもあったりで、現在においても、ボクが主導で印刷に至った事はありません。それは、印刷という行為を、より限定的に据えているからなんですが、まあ今はいっか、これは追々書いていきます。そのアウトライン化するという行為の中で、1つの気付きがありました。これはアラベスクという美術を原本にしたものであるなら、アラベスクという歴史的な価値を引いて、何か別のモチーフで花形装飾活字の実現は不可能なのか、というものでした。それを動植物ではなく、幾何学でもなく、より自由な発想で、花形装飾活字という袖を伸ばせるのではないかと考えたのです。それは先人達が活版への工夫として、花形装飾活字の延長として既に行っておりましたが、現在のテクノロジーと、なによりも、fengfeeldesignに寄り添う花形装飾活字を、一度、作っておきたいと考えたのです。それなら、お金もかかんないし、時間さえかけたら可能だと感じました。何を花形装飾活字するのか、という洗い出しも含めて、その行為に、解明への糸口があるように感じたのです。一度作ってみる。印刷という結果を介さずに作ってみる事で、それそのものの思考が高まり、同時に印刷への意識の増大になるのではと考えました。お金が無くても印刷に関われる何かが出来るぞ!とwそして生まれたのが「PRINTERS'FLOWERS from IMAGEST」でした。当時、フォローしていたアクセサリー販売の為のアートワークでしたが、それは同時に格好の対象でもありました。それまでに多くのデッサンで形が生まれていましたが、その全てがモチーフが必要な何かであって、どこまでも自由なものには至りませんでした。それまでに鏤められたアイデアも数多くあり、その全てを1つに凝縮する行為にも失敗が生じていました。この、花形装飾活字で一番大きな事は、それは印刷という媒介を、とくに、活版という媒介を無視する事にありました。より自由な花形装飾活字とは一体何か。テクノロジーによって、自由に配置出来るという事はどういう事なのか。それを1つずつのパーツ、この場合は「活字」という事になるのでしょうか。を活版の伝承として制作し、それを自由に開放する。拡大、縮小、回転はもちろんの事、重ねたり、くっつけたり、本来、活版でやるととてつもなく時間のかかる事を瞬時に出来るという利点を最大限に生かした花形装飾活字の誕生でした。「形を自由に作る」という事、そして、フォローすべき対象の世界が構築出来るという事も含めた、花形装飾活字本来の役割についてだけを追求した結果でもあります。
2011.11.21 Monday | 2011年11月 | 06:59 | comments(0) | trackbacks(0) |